もしあなたが、誰かに質問したいのに、「こんなこと聞いていいのかな」とためらってしまうなら。
もしあなたが、街で障害のある人を見かけて、どう声をかけたらいいか迷ったことがあるなら。
もしあなたが、人前で話すとき、聞き手の反応が気になってどきどきするなら。
この記事は、あなたのためのものです。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害B2クラスのパラトライアスリートで、盲導犬のシュクレと暮らしています。講演で、いろんな場所に呼んでもらっています。
今日は、講演のあとの「質問」の話です。子どもと大人とで、質問の向きがまるで違う。そして、いちばん嬉しい質問と、いちばん答えに困る質問がある。その話を書きます。
講演のあとは、必ず質問の時間をとります。
実は僕、この時間が大好きです。話している時間より好きかもしれない。……話す人がそれを言っていいのか、という気もしますが。
理由があります。僕は目が見えにくいので、聞いてくれている人の表情が分かりません。
だから講演の最初に、いつもこうお願いします。「僕にはみなさんの表情が見えません。うなずきや拍手や声で、反応を教えてください」
話しているあいだは、笑い声や、息をのむ気配や、しんと静まる瞬間を、耳と肌で受け取ろうとしています。それでも、それぞれが本当は何を思ったのかまでは、なかなか分かりません。
だから、質問の時間に手が挙がると、「ああ、届いたんだな」とほっとします。その人が何に興味を持ち、何を持ち帰ってくれたのかがまっすぐ伝わってくるので、質問は僕にとって、相手の心が見える数少ない窓なのです。
ある中学校で講演をさせてもらったとき、あとから質問を思い返して、はっきり気づいたことがあります。
子どもの質問と、大人の質問は、向いている方向がまるで違う。
まず、子どもたちからの質問です。
気づきましたか。全部、「中澤隆という人」に向かっているんです。
「視覚障害者」というくくりではなく、「この人、どんな人なんだろう」。肩書きや障害の前に、まず人を見てくれる。
「困っていることは?」も、気の毒がっているわけではありません。どう工夫しているのかを、純粋に知りたいだけ。だから僕も、「細かい字が読めないから、こんな道具を使っているよ」と、工夫を一緒に楽しむように答えます。
好きなアニメを答えると、「えー、一緒だ!」と声が返ってくることがあって、その瞬間に、障害のあるなしを越えて、ただの「人と人」になれるあの時間が、僕は本当に好きなんです。
子どもの質問の中でも、いちばん嬉しいのが、この質問です。
「見えないのに、どうして笑顔なんですか?」
大人なら、気をつかって飲み込むかもしれない質問です。「障害のある人に、こんなこと聞いていいのかな」「失礼にならないかな」と。
その気づかいも、もちろんありがたいものです。でも子どもは、遠慮しないで、まっすぐ聞いてくれる。その素直さが、かえって僕の心を軽くしてくれます。
こう聞かれると、僕は自分の原点を思い出します。
見えなくなった頃は、笑顔どころではありませんでした。夜になるのが怖くて、家にいると不安でいっぱいでした。
でも、トライアスロンに出会い、ガイドという仲間ができ、講演で人と話すようになって、少しずつ笑えるようになりました。
だから、こう答えます。「見えなくなって失ったものもあるけれど、そのぶん、出会えた人や挑戦があるからです」
不思議なのですが、僕は今、目が見えていた頃よりずっと充実した毎日を過ごしていて、作った笑顔ではなく本当に今が楽しいのだと、子どもの質問に答えるたびに、自分でももう一度確かめさせてもらっています。
一方で、先生たち大人からは、こんな質問が多く出ます。
同じ僕への質問なのに、向きがまったく違います。大人の質問は、「障害のある人が、この社会でどう生きているのか」に向かっている。
「苦しい練習」の質問も、よく考えると大人ならではです。仕事でも、家事でも、子育てでも、大人は毎日、自分なりの苦しい練習を乗り越えている。だから、自分の暮らしに重ねて聞いてくれるのだと思います。
「どう接したらいいか」を真剣に聞いてくれる先生や保護者の方の奥には、自分の生徒や子どもが、いつか誰かとちゃんと向き合える人になってほしいという、次の世代への思いが透けて見えます。
どうしてこんなに違うのか。子どもは、まだ「障害者」というラベルを強く持っていないからだと思います。大人は、社会の中でいろんな経験を積んできたからこそ、関わり方に目が向く。
最初の頃は、同じ話を同じ熱量でしているのに返ってくる質問がこんなに違うことに、戸惑うこともありました。でも今は、その違いこそが面白いと感じています。
どちらが良い悪いではなく、それぞれの年代のまなざしの違いで、ひとつの講演が、年代の違う心に別々の形で届いていくのを感じられるのが、質問の時間の面白さだと思っています。
正直に言うと、答えに困る質問もあります。代表が、「どうやって、収入を得ているんですか?」です。
お金の質問は、僕にとって質問の時間のラスボスです。
つまり、いちばん言葉を選ぶ、答えるのがいちばん難しい質問、ということ。
悪気がないのは分かっています。「障害があって、どうやって生活を成り立たせているんだろう」という、切実で現実的な関心です。
難しいのは、人によって状況がまったく違うからです。僕の答えが、そのまま誰かに当てはまるわけではない。
それに、僕の道はまっすぐではありませんでした。13年勤めた会社を離れることになって、先が真っ暗に見えた時期があります。回り道をして、いろんな人に支えられて、今があります。
だから「こうすれば大丈夫」とは、軽々しく言えません。簡単に答えるほうが、かえって不誠実な気がするんです。
それでも、ごまかしません。その質問の奥には、自分や家族の将来を本気で心配している、その人自身の不安があることが多いからです。
「できるか、できないか」ではなく「どうやったら、できるか」を一緒に考える入り口にしたい。
完璧な答えは出せなくても、あきらめずに自分に合うやり方を探し続けた人間がここにいる、という事実だけは、まっすぐ渡すようにしています。
子どもの「好きなアニメは?」も、大人の「どう接したらいい?」も、根っこは同じだと思います。
「あなたのことを、もっと知りたい」。その気持ちです。
素朴な質問は、その人のやさしさを。難しい質問は、その人の切実さを、僕に教えてくれます。だから、答えに詰まることはあっても、「聞いてくれて、ありがとう」の気持ちは変わりません。
それに、質問は僕自身を育ててくれました。答えるために、自分の経験を整理し直す。そのたびに、話に経験値がたまっていく。
つまり、質問に答えるたびに考え直すので、僕の話が少しずつ深くなっていった、ということ。
もし、僕の話をきっかけに、大人が障害のある人にまっすぐ声をかけてみようと思ってくれて、その姿を子どもや後輩に見せてくれたら。話が小さな輪になって、少しずつ広がっていく。大人の質問は、そんな未来への種のようにも感じます。
ひとつ願っていることもあります。子どもの「まず人を見る目」を、大人になっても持ち続けてほしい。
知識が増えるほど、僕たちは相手を「障害者」「外国人」「お年寄り」というラベルで先に見てしまいがちです。でも、社会の仕組みを考える大人のまなざしの土台に、目の前の人をまず人として見る子どもの目があったら、世界はもっと温かくなると思うのです。
もし、街で障害のある人を見かけて、「どう接したらいいんだろう」と迷ったら。
答えはシンプルです。聞いてみてください。
「何かお手伝いできることはありますか?」
僕は、その一言をかけてもらえるだけで、心がふっと軽くなります。手伝ってもらえたかどうか以上に、「気にかけてくれる人がいる」ことが嬉しいんです。完璧な対応をしようとしなくて大丈夫です。
講演のあと、小さな声で「実は、僕も今しんどくて」と打ち明けてくれる人がいます。勇気を出して聞いてくれたその人が、僕の答えを聞いて、少しだけ表情をやわらげてくれる。そういう瞬間に立ち会えるのが、僕には何よりの幸せです。
質問は、勇気ではなく、やさしさです。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
聞くことを、どうかためらわないでください。表情の見えない僕にとって、あなたがまっすぐ投げかけてくれる一言は、相手の心が見えるいちばん確かな窓で、その窓が開くたびに、僕のほうがいつも支えられているのですから。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
新しい記事が出たら、メールでお知らせします。すぐ下のフォームから登録できます ↓
緑内障の診断からIRONMAN完走までを、16分の動画にまとめました。
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人