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📅 2026.08.20(更新 2026.10.10) | RYU NAKAZAWA
📖 物語・哲学

緑内障の手術を何度も受けた頃の話|良くなる保証がなくても「信じるしかなかった」時間

⏱ 約6分で読めます(3,473字)

27歳のある夜。静かな部屋で、パソコンの画面の光だけが、僕の顔を照らしていました。

もしあなたが、良くなる保証のない何かを、それでも信じようとしているなら。

もしあなたが、がんばっても結果が変わらない現実の前で、立ち止まっているなら。

もしあなたが、大切な人の病気を前に、祈るような毎日をすごしているなら。

この記事は、あなたに向けて書きます。

僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。

今日は、緑内障の手術を何度も受けていた頃の話をします。

手術の中身や回数は、書きません。僕は専門家ではないからです。いいかげんなことを書いて、誰かを不安にさせたくありません。

書くのは、心の話です。良くなる保証がどこにもない中で、僕がどんな気持ちで毎日をすごしていたか。それだけを書きます。

📖 この記事の目次
  1. 27歳、照明のまわりが虹色に見えた
  2. 「治る」ではなく、「進むのをおそくする」だった
  3. 目薬、飲み薬、手術。できることは、全部やった
  4. 「信じたかった」と「信じるしかなかった」
  5. 悔しくて、情けなくて、誰にも言えなかった
  6. 信じることは、弱さではなかった
  7. 信じた時間が、次の一歩を準備していた
  8. これを読んでいる、あなたへ

27歳、照明のまわりが虹色に見えた

始まりは、27歳のときでした。

天井の照明のまわりが、虹色に見えます。目が痛い。かすむ。頭も痛い。

おかしいなと思って病院に行ったら、「緑内障です」と言われました。

最初の感想は、「へ〜、そんな病気があるんだ〜」でした。

……のんきすぎます。今の僕が横にいたら、肩をゆすっています。

名前を聞いたこともありませんでした。この病気が自分の人生をまるごと変えるなんて、27歳の僕は、少しも想像していませんでした。

本当の意味を知ったのは、診察室ではありません。自分でパソコンで調べた、ある夜です。

「一度失った視野は、元に戻らない」。

その文字を見て、はじめて「ヤバイ」と思いました。

誰かに説明されたのではなく、自分の指で検索して、自分の目で見つけてしまった事実には逃げ場がなくて、画面の前にすわったまま、足元がすっと冷たくなっていったあの感じを、僕は今でも忘れられません。


「治る」ではなく、「進むのをおそくする」だった

調べていて、いちばんこたえたのは、ここでした。

治療でできるのは、病気が進むのをおそくすること。なくなった視野が、元に戻るわけではない。

ゲームなら、やられても回復できます。でも、僕の視野に、回復はありませんでした。

つまり、一度なくした分は、どんなにがんばっても取り戻せない、ということです。

「治る」なら、ゴールがあります。痛みも努力も、「いつか終わる」と思えれば、人はたえられます。

でも、「進むのをおそくする」には、ゴールが見えません。

坂道をずるずると下りながら、その速さを少しでもゆるめようと足をふんばっても、坂をのぼれるわけではなく、ただ落ちていくのがおそくなるだけ。あの頃の治療は、僕にとってそういうものでした。

そんな努力を、人はどうやって続ければいいのか。27歳の僕には、答えがまったく見えませんでした。


目薬、飲み薬、手術。できることは、全部やった

それでも僕は、できることを全部やりました。

目薬をさしました。飲み薬を飲みました。手術も、何度も受けました。

緑内障の治療は、人それぞれです。僕の経験が、誰かの正解になるわけではありません。だから、細かいことは書きません。

ただ、ひとつだけ、はっきり言えることがあります。

治療を受けるたびに、僕の中には、いつも同じ願いがありました。

「今度こそ、これで良くなるはずだ」。

これでまた、見えるようになるかもしれない。前のように、図面が読めるようになるかもしれない。

手術の日が近づくたびに、目薬をさす朝にも、薬を飲む夜にも、僕は同じ願いを心の中で何度もくり返していて、あの頃の僕にできることは、本当に、それくらいしかありませんでした。


「信じたかった」と「信じるしかなかった」

でも、現実は、思うようにはなりませんでした。

できることを全部やっても、目は少しずつ、たしかに悪くなっていきました。

それでも僕は、信じることをやめませんでした。というより、信じるしかなかったのです。

あの頃の気持ちを正直に言うと、こうなります。

これで良くなるはずと、信じたかった。信じるしかなかった。

希望にあふれて信じていた、というのとは少しちがいます。

「信じる」は、あの頃の僕に残っていた、最後のHPでした。

つまり、それがなくなったら、もう立っていられなかった、ということです。

良くなる保証はどこにもなかったけれど、「信じる」を手ばなしたら心が真っ暗になってしまうと分かっていたので、僕は保証のない希望を、自分の手で、にぎりつづけました。


悔しくて、情けなくて、誰にも言えなかった

信じつづけるあいだも、現実は進んでいきました。

僕は、電気工事の仕事で、図面を見ていました。その図面の細かい字が、だんだん見えなくなっていきます。仕事の真ん中にあるものが、少しずつ、きりの向こうへ消えていきました。

1回ですんでいた確認が、2回、3回に増えます。

「早くしなきゃ」と思うほど、あせって、手が止まります。昨日まで当たり前にできていたことが、今日はできません。

いちばんつらかったのは、それを誰にも言えなかったことです。

「目が見えなくなってきています」。そのひとことが、どうしても言えませんでした。弱さを見せたら、終わってしまう気がしたのです。

昼間は見えないことを必死にかくして、人に気づかれないように確認を重ね、夜になるとまた「これで良くなるはず」と信じ直す。悪くなっていく目と、手ばなせない希望の両方を、僕は毎日かかえていました。


信じることは、弱さではなかった

当時は、こう思ったこともあります。

「結果が変わらないのに信じつづけるなんて、現実から目をそらしているだけじゃないか」。

今は、はっきり言えます。信じることは、弱さでも、逃げでもありませんでした。

もしあの頃、「どうせ良くならない」と信じることをやめていたら。僕はきっと、目薬をさす気力も、病院に通う気力も、なくしていました。その先でトライアスロンを始める力も、残っていなかったはずです。

結果は、自分では決められません。どれだけ願っても、どれだけ治療を受けても、視野が戻るかどうかは、僕には決められませんでした。

でも、「信じるかどうか」だけは、僕がえらべました。

自分ではどうにもできないことばかりの中で、心の向きだけは自分で決められるという、たったひとつ残った小さな足場の上に、あの頃の僕は、なんとか立っていたのだと思います。


信じた時間が、次の一歩を準備していた

結果として、僕は31歳で視覚障害者になりました。

信じつづけても、視野は戻りませんでした。その意味では、願いはかなわなかったのです。

でも、あの時間は、むだではありませんでした。

信じた時間は、ちゃんとセーブされていました。

つまり、結果は変わらなくても、そこで身についた力は、消えずに僕の中に残っていた、ということです。

トライアスロンを始めた頃、僕は25メートルも泳げませんでした。それでも、泳ぎ方を習いに通って、泳げるようになるまで続けられました。

IRONMANの長いレースの途中で、ゴールがまだずっと遠くても足を止めずにいられるのも、保証のない希望をにぎって毎日をすごした、あの頃の練習があったからだと僕は思っています。

「信じるしかない」をえらんだ時間は、目を治してはくれなかったけれど、次の一歩をふみ出す僕を、静かに準備してくれていました。


これを読んでいる、あなたへ

もし今、あなたが、良くなる保証のない何かを、それでも信じようとしているなら。

僕は、あなたに「絶対に良くなるよ」とは言えません。

僕の目は、手術を何度受けても、目薬を毎日さしても、悪くなりました。だから、かんたんな希望は、口にしたくありません。

でも、これだけは言えます。

信じたのにかなわなくても、ゲームオーバーではありません。

つまり、願ったとおりにならなかったとしても、そこで全部が終わるわけではない、ということです。

あの頃の僕は、視野が戻ることだけが「救い」だと思っていました。でも、救いは、別の形でやってきました。

だから、どうか、信じたことを、自分を責める材料にしないでください。「信じたのに、かなわなかった」と、自分を責めなくて大丈夫です。

あの夜、画面の前で「ヤバイ」と思った27歳の僕は、それでも信じることをえらびつづけて、アラフィフになった今、たくさんの人に支えられながら、盲導犬のシュクレと暮らし、IRONMANに挑み続けています。

結果はえらべなくても、「それでも信じる」という心の向きは、あなたがえらべます。

信じているその時間が、今も、あなたを少しずつ前に運んでいます。


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「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人