もしあなたに、言えないまま飲み込んだ言葉があるなら。
もしあなたが、「どうせ無理だ」と、やってみる前に答えを出す癖があるなら。
もしあなたが、断られるのが怖くて、いつも一歩手前で止まってしまうなら。
この記事は、あなたに向けて書いています。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、トライアスロンの話ではありません。中学の初恋と、そこから20年以上たってからの、ひとことの話です。
中学のとき、好きな子がいました。同じクラスの子です。
特別なきっかけがあったわけではありません。気づいたら、教室に入って最初に探すのが、その子の席になっていました。
その子が笑うと、教室がぱっと明るくなる気がしました。
そして、ここが今思い返して、いちばん動けなくなるところです。
その子は、いつも自分から僕に声をかけてくれました。
朝の教室で。廊下ですれ違うときに。授業の合間に。向こうから名前を呼んで、話しかけてくれる。
僕は、短く返事をします。返事はする。でも、そこから先が続かない。
そして、僕からその子に声をかけたことは、一度もありませんでした。
……向こうは何度も来てくれているのに。こっちは返事だけ。せめて天気の話くらいしろ。
言おうと思った日は、何度もあったはずで、教室の入口で立ち止まった日も、帰り道でもう一度戻ろうかと思った日もあったのに、その一歩手前で、いつも足が止まりました。
足を止めていたのは、その子ではありません。僕の中の言葉でした。
「どうせ、相手にされるわけがない」。
当時の僕は、勉強も運動も苦手でした。部活も続かなかった。自分に自信なんて、これっぽっちもありません。
毎日そういう自己採点をしていると、その点数が、恋にもそのまま持ち込まれます。
順番は、いつもこうでした。まず自分で答えを出す。次に、その答えに合わせて動かない。最後に「やっぱり無理だった」と確認する。
相手には、一度も聞いていません。審判も、採点も、全部僕がやっていました。
告白の前で、僕は毎回「にげる」を選んでいました。
つまり、断られる前に、自分で先にあきらめていた、ということ。
「どうせ」で先にシャッターを下ろしてしまえば傷つかずに済むけれど、それは傷つかない方法なんかじゃなくて、うれしいことも、つながりも、全部取りこぼしていく方法でした。
そのまま、卒業しました。
ひとことも伝えていません。好きだということも、いつも声をかけてくれてありがとう、ということも。
卒業式の日のことは、細かくは覚えていません。覚えているのは、そのあと何年も、ふとした瞬間に、その子のことを思い出していたことです。
失恋なら、そこで終わります。でも、僕がしたのは失恋ではありませんでした。
ゲームオーバーにすら、なっていなかったんです。
つまり、断られて終わることさえできず、気持ちだけがずっと残った、ということ。
始めてもいないものは、終わってもくれない。
大人になってから気づいたのは、これが恋だけの話ではなかった、ということです。
中学1年で入ったバドミントン部を、僕は「向いてない」と言って、2年になるときに辞めました。高校の学科も、やりたいことで選んだのではなく、「これは無理」を消していって、最後に残ったものを選びました。
全部、同じ形です。やってみる前に答えを出して、出した答えに合わせて、手を離す。
「どうせ」は一度使うと、手つきがどんどん滑らかになって、気づけば考えるより先に、もうシャッターを下ろしている自分がいました。
それから、20年以上の時間が流れました。
27歳で緑内障と診断されました。少しずつ、見える範囲が狭くなっていきました。31歳で視覚障害者になって、13年勤めた会社を離れることになりました。
そんな僕を外に連れ出してくれたのが、トライアスロンでした。テレビで、全盲の女の子がトライアスロンをしている映像を見たのがきっかけです。
始めた頃は、25メートルも泳げませんでした。1キロ走ったら膝が痛くなりました。
まさに、レベル1からのスタートです。
つまり、何もできないところから始めた、ということ。
それでも、ガイドやコーチに支えられて、1ミリずつ前に進みました。泳げる距離が伸び、走れる距離が伸び、やがてレースを完走できるようになりました。
「どうせ無理だ」と思っていた人間が、です。……中学の僕が聞いたら、たぶん信じません。
震えながらでも一歩を出せば、昨日より少しだけ前に進めるという小さな確かめを、僕はプールで、道の上で、何度も何度もくり返してきました。
ただ、心の奥のあの「どうせ」が完全に消えていたかというと、正直、分かりませんでした。試される機会が、まだ来ていなかっただけかもしれません。
その機会は、ある日、本当に突然、向こうからやってきました。
36歳のある日。街を歩いていて、偶然、あの人と再会しました。
中学のとき、ひとことも気持ちを言えなかった、あの初恋の人です。
20年以上ぶりでした。声を聞いた瞬間、あの教室の空気が一気によみがえって、心臓が変な打ち方をしたのを覚えています。
落ち着け、落ち着け。そう言い聞かせながら、お互いの「あれから」を、ぽつぽつと話しました。
僕がトライアスロンをやっていること。目が見えにくくなっていること。それを話したとき、彼女がこう言いました。
「えっ…目が見えにくいのに、トライアスロンやってるの?すごい!」
お世辞ではなく、心から驚いて、まっすぐ向けられた言葉だというのが、声の温度で分かりました。
その瞬間、はっきりとスイッチが入りました。「今なら、言えるかもしれない」。
もちろん、怖かったです。「いい大人が、なにを言ってるんだ」「断られたら、この再会ごと気まずくなるぞ」。中学のときと同じ「どうせ」の声も、ちゃんと聞こえていました。
それでも今回は、20年以上飲み込んだままだった言葉が、胸の奥からせり上がってくるのを、もう止めたくありませんでした。
声が震えていたと思います。
「中学校の頃から、ずっと好きでした。よかったら、付き合ってもらえませんか」
言い終えた瞬間、頭が真っ白になりました。
たった二行の言葉です。なのに、ここまで来るのに、人生の半分を使いました。……使いすぎです。
そして。
彼女が、彼女になってくれました。
長く止めていた息を、ようやく吐き出せたような感覚でした。
2020年に、結婚しました。あの教室で遠くから見ていた人が、今は僕の妻です。毎朝、僕の服を選んでくれています。
20年以上前の僕に「お前、いつかその子と結婚するよ」と教えても、たぶん「どうせ、そんなうまい話があるわけない」と笑ったはずなのに、それは、飲み込んでいた言葉を一度口に出しただけで、本当に起きました。
中学の僕は、言えなかった。36歳の僕は、言えた。何が違ったんでしょうか。
度胸がついたから? 性格が生まれ変わったから?
違うと思います。僕は今でも、根っこは緊張しいで、心配性です。「どうせ」の声も、消えてはいません。
変わったのは、その声との付き合い方でした。
36歳の僕には、トライアスロンがありました。25メートルも泳げなかったところから、震えながら一歩を出して、そのたびに少しだけ前に進む。それを何度も繰り返してきました。
だから、体が覚えていたんです。
「怖くても、小さく踏み出せば、世界は動く」
頭で理解していたんじゃありません。体のほうが先に覚えていました。
街で「どうせ」の声が聞こえたとき、僕の体はこう答えました。「その声、何度も聞いた。でも踏み出したら、毎回ちゃんと進んだじゃないか」。
競技で覚えた一歩の踏み出し方が、スイムでもバイクでもランでもない、人生のいちばん大事な場面で、そっと僕の背中を押してくれたのが、20年越しの告白の正体でした。
最後に、伝えたいことをひとつだけ。
断られることと、言わないことは、まったく別のものです。
断られたら、そこで話は終わって、次に進めます。でも、言わなかったものは終わりません。「たぶん無理だった」という、確かめていない答えだけが残ります。
あなたにも、飲み込んだままの言葉が、ひとつくらいあるんじゃないでしょうか。
好きだという言葉かもしれない。ありがとう、かもしれない。ごめんね、かもしれない。「助けてほしい」のひとことかもしれません。
大きな勇気じゃなくていいんです。僕がしたのも、25メートルを泳げるようになったのと同じ、1ミリの一歩でした。
僕は20年以上かかったけれど、それでも間に合ったのだから、あなたが今も胸の奥にしまっているその言葉も、きっと、まだ遅くはないと思うんです。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
あなたの飲み込んだ言葉が、いつか、ちゃんと届きますように。怖いままでいいので、1ミリだけ、一緒に踏み出してみましょう。
2026年9月13日、IRONMAN JAPANを完走しました(14時間43分54秒・PCクラス2位)。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。次の挑戦も、日々の練習やレースの様子を発信していくので、そばで見届けてもらえたら嬉しいです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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緑内障がわかった日から、見えなくなっていく中で挑み続けるまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人