もしあなたが、「自分には無理だ」と、何かをあきらめかけているなら。
もしあなたが、気合いを入れ直しても、何ひとつ動かない毎日を過ごしているなら。
もしあなたが、「ピンチはチャンスだよ」と言われて、正直、少し腹が立ったことがあるなら。
この記事は、あなたのためのものです。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
2017年から講演を続けていて、ここ3〜4年は年50回前後、学校や企業でお話ししています。
僕の講演には、最後に必ず置くものが2つあります。
ひとつは、言葉です。「ピンチは、チャンスです。でも、ピンチをチャンスに変えるカギは、気合いや根性じゃありません。工夫なんです」
もうひとつは、動画です。タイトルは「Yes I Can」。世界中のいろんな障害のある人たちが、それぞれの工夫で、スポーツや音楽や毎日の暮らしに挑戦する姿を集めた動画です。
正直に言うと、僕には、この動画の細かいところまでは見えていません。でも、何度も流してきたので、どんな人が、どんな挑戦をしているかは、全部知っています。
流すと、ざわついていた会場が、しんと静まりかえります。その瞬間だけは、耳ではっきり分かるのです。
なぜ、わざわざ「カギは工夫」と言い添えるのか。なぜ、毎回この動画なのか。それは、僕自身が、ピンチに気合いで立ち向かって、見事にはね返された人間だからです。
そして、あるテレビの映像に、人生ごと動かしてもらった人間だからでもあって、今日はその話を、順番に書いてみようと思います。
27歳のとき、緑内障と診断されました。
当時の僕は、電気工事の現場をまとめる仕事をしていました。図面を見て、段取りを考える仕事です。18歳でこの仕事に就いて、生まれて初めて「ここが自分の居場所だ」と思えた仕事でした。
その図面の細かい字が、だんだん見えなくなっていきました。
1回で済んでいた確認が、2回、3回と増えていく。指で紙をなぞる回数だけが増えていく。だから僕は、こう思いました。「もっと気合いを入れて、早くやらなきゃ」
どうなったか。
「早くしなきゃ」と思えば思うほど、手が止まりました。焦りで、頭が真っ白になる。見えないものは、どれだけ気持ちをこめても、見えないのです。
あの頃の気合いは、使うほどHPを減らすだけでした。
つまり、がんばればがんばるほど、自分がすり減っていった、ということです。
結局、13年勤めたその会社から、「このまま続けるのは難しいよね」と言われました。事実上の、クビでした。めちゃくちゃ、悔しかった。
気合いや根性ではどうにもならないことが世の中にはあって、気合いだけではピンチはピンチのままなのだと、僕はこのとき骨身にしみて分かりました。
仕事を失って、目はどんどん見えなくなっていきました。
31歳の頃、右目は五円玉の穴からのぞいているように、中心しか見えませんでした。左目は、目の前のグー・チョキ・パーが分かるかどうか、というところまで来ていました。
「明日も、見えているだろうか」。会社にいた頃から、夜になるのが、怖かった。
その頃の僕の頭は、ずっと、ひとつの問いでいっぱいでした。「自分に、これができるか、できないか」
仕事ができるか。歩けるか。生きていけるか。問えば問うほど、答えは「できない」に傾いていきます。そして、問うほど、動けなくなっていきました。
あの頃の僕は、自分の人生に、勝手にゲームオーバーの文字を出しかけていました。
つまり、まだ何も終わっていないのに、もう終わったと思いこんでいた、ということです。
できないことばかりを数えて、数えるほど夜が長くなっていくあの感じを、僕はいまでも、ときどき思い出します。
転機は、一台のテレビでした。
ある日、24時間テレビで、全盲の女の子がトライアスロンに挑戦していました。僕より、ずっと見えない女の子が、泳いで、自転車をこいで、走っている。
気がつくと、頬が濡れていました。
そして、心の中で、初めて問いが変わりました。「自分より見えないあの子にできるなら、僕は、どうやったら、できるだろう」
「できるか、できないか」は、答えが2つにひとつです。見えない僕の場合、たいてい「できない」のほうに転がって、そこで止まってしまう。
でも、「どうやったら、できるか」は、できることを前提にした問いです。できると決めて、そのうえで、やり方を探しにいく。立ち止まる問いが、動き出す問いに変わったのです。
僕は、トライアスロンの倶楽部に問い合わせました。「目が見えにくいのですが、できますか」
返ってきた返事は、「大丈夫ですよ」でした。
そして、信じられないことが起きます。その倶楽部には、僕がテレビで見た、あの女の子のコーチがいたのです。運命だ、と思いました。
あの夜の問いの変え方は、僕の人生のセーブポイントになりました。
つまり、迷ったときに、何度でも戻ってくる場所になった、ということです。
「できるか、できないか」と問い続けていたら、僕はきっと「どうせ、できない」と自分で決めて、あの問い合わせをしないまま終わっていたはずです。
始めた頃の僕は、ただの太ったおじさんでした。25メートルも泳げない。1キロ走ると膝が痛くなる。
完全に、レベル1からのスタートです。
つまり、できることがほとんどない、ゼロに近いところから始めた、ということです。
それでも、「どうやったら、できるか」をひとつずつ考えました。泳げないなら、練習のやり方を工夫する。レースでは、見える人に横についてもらう。
「工夫が大事」と言うと、難しく聞こえるかもしれません。特別な才能がいるんじゃないか、と。ちがいます。講演では、こう話しています。
「工夫っていうのはね、やり方を変える、ってことです。道具を使う。順番を変える。誰かに、助けてもらう。それだけのことなんですよ」
たとえば、僕の足元には、いつも盲導犬のシュクレがいます。知らない道を歩くのは、見えない僕には危ない。でも、シュクレは角、段差、障害物を教えてくれます。気合いで前が見えるようになったわけではありません。相棒の力を借りる。それが工夫です。
レースでは、ガイドさんがいてくれます。スイムやランでは、ロープでつながって進みます。ランでは、輪っかのロープを僕が右手に、ガイドさんが左手に持って、横に並んで同じペースで進む。「右に曲がりますよ」「もうすぐ段差ですよ」と教えてもらう。
気合いは消耗するけれど、工夫は積み重なる。一度見つけた工夫は、次も使えます。
工夫とは自分だけで全部を抱えこむことではなく、むしろその逆で、助けてもらうことは弱さではなく立派な工夫なのだと、僕はスポーツから教わりました。
気づけば、仕事を失ったという人生でいちばん大きなピンチが、トライアスロンとの出会いにつながっていました。そのトライアスロンが、僕をアジアの大会や世界ランキングの舞台まで連れていってくれました。仕事を失わなければ、目が見えなくならなければ、僕はいま、マイクの前に立っていません。
講演の流れには、意味があります。
最初に、僕は自分の話をします。告白できなかった中学時代。見えなくなっていく怖さ。そこからトライアスロンに出会って、IRONMANに挑むまで。かっこ悪い自分を、先に見せるのです。
そして最後に、世界中のいろんな人の挑戦を、映像で見せます。自分の物語から、みんなの物語へ。「これは、僕だけの話じゃない」と、視野が一気に広がる瞬間です。
いきなり立派な挑戦の映像を見せられると、人は「すごいな、でも自分とは違う」と感じてしまうことがあります。遠い世界の話に見えてしまう。
でも、弱い話を聞いたあとだと、見え方が変わります。「あの中澤さんも、こんなところから始まったんだ。だったら、この人たちも、特別な人じゃないんだ」と。
あの女の子の姿は、僕にとっての「Yes I Can」でした。だから、再生ボタンを押すたびに、会場のどこかにいるかもしれない、かつての僕のような誰かに、この映像が届いて、問いの向きが変わったらいいなと願っています。
問いの向きを変える力は、障害のある人だけの話ではありません。だから僕は、健常の方が多い企業や自治体の講演でも、この動画を流します。
子どもたちの前では、僕がどれだけパッとしない子どもだったかを、正直に話します。
徒競走は、ビリか、ビリから2番目。プールは25メートルも泳げなかった。成績もよくなかった。丸ひとつうまく描けなくて、教室に居残りをしたこともある。……我ながら、なかなかの経歴です。
そして、その僕が「どうやったら、できるか」と考え方を変えて、ここまで来た話をします。すると、子どもたちの中で、何かが動き出すのが分かります。
講演のあと、こんな感想をもらうことがあります。
「できない」のは、その子がダメだからではなく、まだその子に合ったやり方が見つかっていないだけなので、苦手なことは無理に直さなくていい、工夫で越えればいいのだと、僕は伝えたいのです。
「Yes I Can」と言える自分は、いきなりできあがるものではありません。小さな「できた」が積み重なって、少しずつ作られていきます。
僕も、最初から「IRONMANを完走できる」なんて、とても言えませんでした。家を出る1ミリ。プールに入る1ミリ。その小さな「できた」を、ひとつずつ積み重ねてきただけです。
だから動画を流すとき、僕はこう付け加えます。「この人たちも、いきなりこうなったわけじゃない。小さな工夫を、こつこつ積み重ねた結果なんです」
ピンチの真っただ中にいるときは、「ピンチはチャンス」なんて、とても思えません。僕も、あの夜は思えませんでした。それで、いいのです。
苦しいときは苦しいまま、ひとつだけ覚えておいてください。立ち止まったら、問いを変えてみる。無理に気合いを入れなくていい。やり方を変える。道具を使う。順番を変える。誰かに、助けてもらう。
あの夜、テレビの前で泣いていた僕が、今度は誰かにとっての「できるかもしれない」になれたらと思いながら、僕はこれからも、講演の最後にこの言葉を置いて、この動画を流し続けます。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
あなたの「Yes I Can」も、1ミリから始められます。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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緑内障の診断からIRONMAN完走までを、16分の動画にまとめました。
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人