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📅 2026.10.19 | 著者:中澤隆(なかざわ りゅう)/視覚障害B2のパラトライアスリート
📖 物語・哲学

電気工事士の実技試験は、一発では受からなかった|現場監督だった僕の「3回目」の話

⏱ 約6分で読めます(3,053字)
サイクリングヘルメット姿のパラトライアスリート中澤隆

一度で受からなかった試験、ありませんか。

同じ試験を、もう一度受けにいく。あの、ちょっと気まずい感じ。

もしあなたが、資格の試験に落ちて、次を受けるかどうか迷っているなら。

もしあなたが、まわりの人がすんなり通っていく道で、自分だけ足止めされている気がしているなら。

もしあなたが、社会に出たばかりで、まだ何もできない自分にがっかりしているなら。

この記事は、そんなあなたに向けて書きます。

こんにちは。中澤隆(なかざわ りゅう)です。

視覚障害のB2(ビーツー)というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。

でも、目が見えにくくなる前の僕は、電気工事の現場監督でした。18歳から、約13年。

今日は、その頃に受けた試験の話です。

電気工事士という資格の、実技の試験。僕は、一発では受かりませんでした。

📖 この記事の目次
  1. 「先輩が何人もいるから、安心だよ」
  2. 学科は免除。残るのは、実技
  3. 2回目も、届かなかった
  4. 3回目で、受かった
  5. 「キャップ」と呼ばれていた頃
  6. 一発で届かなくても
  7. もう一度、受けにいくあなたへ

「先輩が何人もいるから、安心だよ」

話は、高校3年の就職の時期から始めます。

僕が通っていたのは、工業高校の電気科でした。実習では、交流の電気を直流に変える装置を作りました。

大学に進むための学科もありましたが、学生のおよそ8割は、卒業したら就職する学校でした。僕も、就職する側でした。

就職先は、学校の就職担当の先生がすすめてくれました。

「会社から求人が出てるし、先輩が何人もいるし、安心だから、面接してみたら」

その言葉で、決めました。電気工事の、施工管理の会社です。

卒業式の日、僕は「これから社会人だ」と思いました。

入った会社には、本当に、同じ高校の先輩が3人いました。優しくて、でも厳しい人たちでした。

18歳の僕の社会人生活は、あの「安心だから」という先生の一言から始まって、そして本当にその言葉どおりの、先輩たちのいる安心の中で、少しずつ動き出していきました。


学科は免除。残るのは、実技

電気工事士は、電気の工事をするための国家資格です。

試験には、筆記の「学科」と、手を動かす「実技」があります。

高校の電気科を卒業していると、学科は免除になります。僕も、そうでした。

高校の電気科で、電気のことを学んできたからです。あの授業が、ここで一つ、ちゃんと役に立ちました。

残るのは、実技だけ。

実技の試験は、決められた時間の中で、実際に電線を切ったり、皮をむいたり、つないだりして、課題の配線を仕上げる試験です。

電気科を出ているし、会社でも電気の現場にいる。普通に考えたら、通りそうな気がします。

資格は、会社に入ってから受けました。

結果は、不合格でした。

ゲームで言えば、最初のステージで、まさかのやり直しです。

つまり、いけるはずだと思われる場所で、つまずいた、ということです。

電気の現場で働いている人間が、電気の資格の実技で落ちるというのは、なかなか人に言いにくいことで、だからこそ今日は、そこから正直に書いておきたいと思いました。


2回目も、届かなかった

2回目も、受けました。

2回目も、だめでした。

どこで点を落としたのか、細かいことは、ここには書きません。

ただ、2回続けて落ちるというのは、なかなかこたえるものです。

現場には、毎日、電線を扱っている職人さんたちがいます。その同じ現場で働きながら、資格の実技に2回落ちている自分がいる。

実は僕は、これより前にも、届かなかったことがあります。

高校受験です。行きたかった園芸科の高校には、落ちました。小学5年から家庭教師の先生がついていて、やることはやった上での不合格でした。

やったのに、届かない。その感覚を15歳で一度知っていた僕は、社会人になって、もう一度、同じような場所に立っていたことになります。


3回目で、受かった

そして、3回目。

3回目で、受かりました。

合格です。

派手な話ではありません。でも、僕にとっては、大きな意味がありました。

高校受験のときは、届かなかった。でも今度は、届いた。

やり直しを重ねて、ちゃんとステージをクリアできた。

つまり、一度目でだめでも、受け続ければ、届く日が来た、ということです。

何回目で受かったかは、合格したあとに手にする免状には、どこにも書いてありません。

1回目で受かった人も、3回目で受かった僕も、手にするのは同じ資格で、そう考えると、あとに残るのは「何回目だったか」よりも「やめなかったこと」のほうなんだと、僕は思っています。


「キャップ」と呼ばれていた頃

あの頃の僕の毎日を、もう少しだけ書いておきます。

初めての給料は、18万円ぐらいでした。使い道は、車です。

先輩のうち、ある人には、仕事の外で、車のことを教わりました。

18歳で車を手にした僕は、そのずっと先に、車の運転をあきらめる日が来ることを、まだ知りませんでした。

会社では、「キャップ」というあだ名で呼ばれていたことがありました。いじられキャラでした。

失敗も、しました。いちばんの失敗は、寝坊です。

夜の工事の日は、現場が終わると、電車の始発を待つまで、先輩たちと居酒屋で飲んでいました。

資格の実技に2回落ちて、寝坊もして、あだ名でいじられて。僕は、できる新人ではありませんでした。

それでも、先輩たちは、僕をかわいがってくれました。

その先輩たちは、今、会社のホームページを見ると、役員になっていました。あの会社を、ちゃんと背負ってきた人たちです。

始発を待つ居酒屋の、あのにぎやかな声の中に、何回落ちても輪の外に出されなかった18歳からの僕がいて、今ふり返ると、あの時間そのものが、もう一度受けにいくための力になっていたんだと思います。


一発で届かなくても

あれから、ずいぶん時間がたちました。

今の僕は、目が見えにくくなり、現場監督の仕事からも離れました。

でも、あの3回目の合格を思い出すと、今の自分の挑戦と、形が似ていると思うんです。

IRONMANも、そうです。2024年は13時間14分17秒で、PCクラス3位。2025年は15時間08分45秒で、タイムは大きく落ちました。

それでも2026年、また出て、14時間43分54秒で完走しました。PCクラス2位でした。

そして今も、IRONMANで11時間を切るという目標に、挑み続けています。

高校受験は届かなかった。電気工事士は3回目で届いた。IRONMANは、タイムが落ちた年もあった。

僕は、一回で届くタイプではありませんでした。

だから、何回目かで届くやり方を、ずっと続けてきました。

一回目でつまずいて、二回目でもつまずいて、それでも三回目の申し込みをするあの感じを、僕は電気工事士の試験で一度ちゃんと知っていたから、タイムが落ちた年のあとも、次の年のスタートラインにもう一度立てたのかもしれません。


もう一度、受けにいくあなたへ

試験に落ちたあと、もう一度受けにいくのは、少し気まずいものです。

でも、合格したあとに手にするものには、何回目で受かったかは書いてありません。

1回目で落ちても。2回目で落ちても。3回目で届けば、それでいい。

4回目でも、5回目でも、いいんだと思います。

大事なのは、申し込みを、やめないことです。

落ちた回数は、あなたがやめなかった回数でもあります。

それと、もうひとつ。

落ちた自分を、輪の中に入れておいてくれる人がいたら、その人を大切にしてください。僕にとっての、あの先輩たちのように。

見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。

次の試験の日、受付の列に並ぶあなたの後ろ姿を、僕は、3回目の試験会場に向かった自分の姿と重ねながら、心の中で応援しています。


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✍️ この記事を書いた人

中澤 隆(なかざわ りゅう)/視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・講演家。18歳から電気工事の現場監督として働き、27歳のときに緑内障と診断されました。31歳でトライアスロンを始め、IRONMANは2024年に13時間14分17秒(PCクラス3位)、2026年9月のIRONMAN JAPANみなみ北海道を14時間43分54秒(PCクラス2位)で完走。盲導犬シュクレと暮らしながら、学校・企業・自治体で講演を続けています。

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