いつもの帰り道。
イヤホンをして、スマホを見ながら歩く。
気がついたら、もう家の前。途中のことは、何も覚えていない。
そんな日、ありませんか。
見えていた頃の僕も、街の音なんて、ほとんど聞いていませんでした。
もしあなたが、いつもの道を、ただぼんやりと歩いているなら。
もしあなたが、見えない人はどうやって街を歩いているんだろう、と思ったことがあるなら。
この記事は、あなたに向けて書いています。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、僕が街を歩くとき、耳がひろっているものの話をします。
僕にとって、街は景色ではありません。音の風景です。
街を歩くとき、僕がいちばん頼りにしているのは、目ではありません。
耳です。
僕の視界は、かすんでいます。細かいものは、はっきり見えません。
だから、目で見て歩くというより、耳で聞いて歩いています。
シュクレと一緒の日も。白杖だけの日も。
前から来る音。横を過ぎる音。遠くで鳴る音。
それを同時に聞き分けながら、頭の中で「今、自分はどこにいるか」を組み立てます。
思えば、見えていた頃の僕は、音をほとんど聞いていませんでした。
看板を見る。人を見る。信号を見る。目だけで、ほとんど済んでいました。
あの頃の僕の耳は、レベル1のままでした。
つまり、ずっとそこにあったのに、ほとんど使っていなかった、ということです。
世界は見るものだと思いこんでいた僕は、見えにくくなってはじめて、世界は聞こえるものでもあったのだと気づき、最初は意識しないとできなかった「耳で歩く」ことが、今では息をするのと同じくらい自然になりました。
耳をすませているもののひとつが、足音です。自分の足音。まわりの人の足音。
歩いていると、足音が壁に当たって、返ってきます。
その返り方で、今いる場所の広さが、なんとなく分かります。
音がすぐ近くで返ってくる。せまい場所か、壁のそばです。
音が遠くまで抜けていく。ひらけた場所です。
たとえば、トンネルや高架の下に入ったとき。
音がこもって、ぐっと近くに返ってきます。
「あ、今、屋根のあるところに入ったな」
耳で分かります。
駅前の広場に出ると、今度は音が四方に抜けていきます。
建物のすぐわきを歩いているときは、片側だけ、音が近い。
これは特別な力ではなく、毎日歩いているうちに、足音の返り方とその場所の形が頭の中でだんだん結びついていった結果で、音はいつのまにか、目に見えない地図になっていました。
街でいちばん大きな音といえば、車の音です。
通り過ぎる音。エンジンの音。信号で止まる音。また走り出す音。
車の音が左から右へ流れていけば、そこに道があります。
音が止まれば、信号や交差点が近い。
音の流れる向きで、道がどちらにのびているかが分かります。
そして車の音は、危険を知らせる音でもあります。
だから僕は、街を歩くとき、絶対にヘッドフォンをしません。
耳をふさぐのは、僕にとって、目を閉じて歩くのと同じくらいあぶないことです。
そんな僕にとって、最近の静かな車は、手ごわいラスボスです。
つまり、近づいてきても気づきにくい、いちばん注意が必要な相手、ということです。
音が静かなのは、街にとっては、いいことだと思います。
……でも、僕には静かすぎます。
だから、道を渡るときは、いつも以上に耳をすませて、気配を探します。
便利になることと、見えにくい人が困ることは、ときどき背中合わせになっていて、だからこそ僕は、自分の歩き方をこうして言葉にして、知ってもらいたいと思っています。
音だけではありません。人の気配も、感じながら歩いています。
前から、人が近づいてくる。
横を、すっと通り過ぎていく。
近くに、誰かが立ち止まっている。
足音もあります。服がこすれる音もあります。空気の動きもあります。なんとなくの感覚、としか言えないものもあります。
駅や人ごみでは、この気配が、特に大事です。
見える人なら目でよけるところを、僕は耳と気配で読みながら進みます。
人の声も、手がかりです。
前のほうで「いらっしゃいませ」と聞こえれば、お店の入口が近い。
子どもの声がすれば、公園や広場が近いのかもしれない。
誰かが話しながら歩いていれば、その声の動きで、人の流れの向きが分かります。
見える人が看板や標識を目印にして歩くように、僕は街にあふれているたくさんの声のひとつひとつを目印にして、自分の行く方向を決めています。
音と気配のほかにも、僕の歩きを支えてくれる相棒たちがいます。
まず、点字ブロック。
足の裏や白杖の先に伝わってくる、あのぼこぼこ。あれは、僕の道しるべです。
次に、白杖。
路面の変化、段差、縁石。手元に伝わってくる情報が、歩きを助けてくれます。
そして、盲導犬のシュクレ。
シュクレと歩く日は、シュクレと耳の二人三脚です。
シュクレが留守番の日は、白杖と耳です。
これらは、ばらばらに働いているのではありません。
耳が、広さを描く。足の裏が、道の向きを確かめる。気配が、人の流れを教える。シュクレが、安全に導いてくれる。
それぞれが少しずつ情報を持ちよって、頭の中に、ひとつの街が立ち上がります。
ひと目で景色をとらえる見える人とは違って、時間をかけて少しずつ組み立てていくしかないのですが、そうやって自分の中に立ち上がった街は、なんだかとても愛おしいのです。
街の音は、天気で変わります。
雨の日。
地面を打つ音。傘に当たる音。ぬれた路面を、車が走る音。
晴れた日とは、まるで違う街になります。
風の強い日。
風が、建物のあいだを抜けていく音がします。
同じ道でも、毎日少しずつ、違って聞こえます。
見えないことは、不便です。それは、まちがいありません。
でも、見えにくくなったことは、ゲームオーバーではありませんでした。
つまり、失ったもののかわりに、別の感覚が、別の世界を開いてくれた、ということです。
見えなくなったら世界はせまくなるのだと思っていたのに、耳をすませてみたら世界はむしろ広がっていて、歩くことは今も、僕にとって飽きることのない小さな冒険です。
もし、あなたが今日、いつもの道を歩くなら。
ほんの少しだけ、耳をすませてみてください。
足音。車。風。人の声。街のざわめき。
景色のうしろにかくれていた音が、聞こえてくるはずです。
その音は、見える人にも、見えにくい人にも、同じように鳴っています。
それから、もうひとつ。
僕は、耳だけで歩いているわけではありません。
安心して歩けるのは、シュクレがいて、白杖があって、街で声をかけてくれる人たちがいるからです。
耳がどれだけ音をひろっても、それだけでは足りない場面があります。
音で歩くというのは、ひとりきりの技ではなく、たくさんの支えの上に成り立っている歩き方です。
もし街で、白杖を持った人や、盲導犬と歩く人を見かけたら、その人もきっと、耳をすませて歩いています。
だから、急に体にふれるよりも、まず一声かけてもらえるとうれしいです。
「お手伝いしましょうか」
その声も、僕たちにとっては大切な「街の音」のひとつで、やさしい声がひとつ増えるたびに、僕たちの歩く街は、もっと安心できる場所になっていきます。
あなたの街の音も、どうか、聞いてみてください。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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緑内障の診断からIRONMAN完走までを、16分の動画にまとめました。
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人