眠っているあいだも休めない悩みを、抱えたことはありませんか。
僕の場合、それは、かゆみでした。
もしあなたが、夜になるとかゆくて、朝が来るのがゆううつなら。
もしあなたが、お子さんのシーツを、毎朝洗っている保護者の方なら。
もしあなたが、外からは見えにくい体のつらさを、だまって抱えているなら。
この記事は、そんなあなたに向けて書きます。
こんにちは。中澤隆(なかざわ りゅう)です。
視覚障害のB2(ビーツー)というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
目のことは、これまで何度も書いてきました。
今日は、肌のことを書きます。子どものころからの、アトピーの話です。
先にお伝えしておきます。治療のすすめは、ひとつも書きません。僕の体に起きたことだけを書きます。
アトピーは、幼いころからです。
いつ始まったのかは、覚えていません。
気がついたら、もうかゆかった。
かゆくなかったころの記憶が、僕にはありません。
起きているあいだも、かゆい。寝ているあいだも、かゆい。
学校には、夏休みがあります。部活にも、休みの日があります。かゆみには、どちらもありませんでした。
かゆみには、セーブして中断できる場所がなかったんです。
つまり、「今日はここまで」と自分で止めて、ひと息つくことができなかった、ということです。
朝起きてから夜眠るまで、そして眠っているあいだも、かゆみは僕から少しも離れず、子どものころの僕が知っているものの中でいちばん休みを取らなかったのは、たぶん、このかゆみでした。
働き者にも、ほどがあります。
ここからしばらく、笑いなしで書きます。
毎朝、シーツに血がついていました。
子どものころから、ずっとです。
寝ているあいだに、かいているんだと思います。
眠っているので、自分では止められません。
朝、目がさめる。シーツを見る。血がついている。
次の日も、同じです。その次の日も、同じです。
たまに、ではありません。毎日でした。
シーツは、洗えばまた白くなります。でも、次の朝には、また同じ跡がついています。
眠ることは、休むことのはずです。でも僕の体は、眠っているあいだも、休めていませんでした。
目をさまして最初にすることがシーツの赤い跡をたしかめることだった子どもは、その跡を前の晩の自分がつけたと分かっていても、どうすることもできないまま、また次の夜を迎えていました。
中学生か、高校生のころです。どちらだったかは、はっきりしません。
使っていたステロイドの薬を、弱くしました。
結果を、先に書きます。
悪くなりました。
弱くする前より、ひどくなったんです。
リバウンド、というそうです。
肌が、一気に荒れました。
減らしたのに、増える。通知表が1か2の僕にも、それが逆向きだということは分かりました。
シーツの血がいちばんひどかったのは、この時期です。
どうして弱くすることになったのか、くわしいいきさつは、ここには書きません。はっきり書けるほどの記録が、残っていないからです。
何をやっても足りなかった僕の毎日の中で、かゆみだけは足りないどころかあり余っていて、10代のあの時期、それがさらに増えて、朝も夜も僕の上にのしかかっていました。
ここは、はっきりさせておきます。
「ステロイドは良くない」と言いたいのでは、ありません。
「薬を弱くしてはいけない」と言いたいのでも、ありません。
僕は、医者ではありません。
ここに書いたのは、ひとつの体に起きたことです。僕の体です。
同じアトピーでも、合う薬も、合うやり方も、人によって違うはずです。
決めるときは、どうか、あなたを診ている先生と相談してください。
この記事を読んで、いま使っている薬を自分の判断で変えることだけは、しないでください。
僕がこの記事で渡せるのは、治療の答えではなくて、「こういう朝をくり返していた子どもが、たしかにひとりいた」という、小さな事実だけです。
ここも、気をつけて書きます。
僕はこれまで、子どものころの自分を「何をやってもぱっとしない子でした」と紹介してきました。講演でも、その話をします。
うそではありません。本当に、こうでした。
自分で書いていて、よくこれだけ並んだなと思います。
では、アトピーが、その原因だったのでしょうか。
分かりません。
関係が、あったのかもしれません。なかったのかもしれません。
いまとなっては、誰にも確かめられません。
だから、「体がつらかったから、できなかった」とは書きません。分からないことは、分からないままにしておきます。それが、いちばん正直な書き方だと思うからです。
ただ、通知表に1と2がならんでいたあの子は、昼の教室と運動場だけで暮らしていたわけではなくて、夜の布団の中でも、毎晩かゆみと向き合っていたのだということだけは、ここに残しておきます。
高校3年のとき、目が見えにくくなりました。
病院に行って、両目の白内障の手術を受けました。
入院して、学校を休みました。
手術のあと、見え方が変わりました。「クリアーになった!」と、おどろいたのを覚えています。
そのとき、先のことについて、お医者さんからは特に何も言われていません。
だから、肌のことと目のことに関係があるのかどうか、僕には分かりません。「ある」とは書きません。
そのあと、27歳で緑内障と診断されました。そのとき僕は、高校3年の手術のことを、すっかり忘れていました。両目の手術です。入院もしています。それでも、忘れていました。
31歳で、視覚障害者になりました。
僕は長いあいだ、自分の体の話を「27歳の目」から始めてきました。
このブログでも、そうでした。アトピーのことは、これまでほとんど書いてきませんでした。
でも本当は、目より前に肌の毎日があって、その長い歴史を自分の言葉で話せるようになったのは、アラフィフになった、つい最近のことです。
夜、かいてしまう子へ。
寝ているあいだのことは、あなたのせいではありません。眠っているんですから。
そばにいる大人の方へ。
昼間の様子だけでは、その子が夜をどうすごしているかは、分かりません。僕の夜のことも、たぶん、外からは見えていませんでした。
「なんでできないの」と言う前に、1回だけ、その子の夜のことを思ってみてください。
答えは、出なくてかまいません。思ってみてもらえるだけで、じゅうぶんです。学校の先生にも、同じことをお願いしたいです。
ここからは、少しだけ先の話をします。
あの子は、いま、スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.2キロのIRONMANを完走する大人になりました。2026年9月のレースは、14時間43分54秒でした。
あの朝は、ゲームオーバーではありませんでした。
つまり、血のついたシーツで始まる毎日が、あの子の物語の終わりではなかった、ということです。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
かゆみがいまどこかの子どもの眠りを邪魔しているのだとしても、その子の物語はその朝で終わりではないと、あのシーツを見ていた本人として、僕は書いておきます。
視覚障害B2のパラトライアスリート・中澤隆が、学校・企業・自治体向けに講演を続けています。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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テーマ:「挑戦」「障害理解」「盲導犬と歩む人生」「ダイバーシティ」
「見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける」——その旅の話を、そのままお届けします。
中澤 隆(なかざわ りゅう)/視覚障害B2クラスのパラトライアスリート・講演家。18歳から電気工事の現場監督として働き、27歳のときに緑内障と診断されました。31歳でトライアスロンを始め、IRONMANは2024年に13時間14分17秒(PCクラス3位)、2026年9月のIRONMAN JAPANみなみ北海道を14時間43分54秒(PCクラス2位)で完走。盲導犬シュクレと暮らしながら、学校・企業・自治体で講演を続けています。