2人乗りの自転車の、後ろの席。そこに、ハンドルはありません。
もしあなたが、人に任せるのがこわくて、いつも自分でハンドルを握っていないと不安なら。
もしあなたが、人を信じたい気持ちはあるのに、最後のところで力を抜けないなら。
もしあなたが、先が分からないことに全力を出すのを、ためらってしまうなら。
この記事は、あなたに向けて書きました。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害B2クラスのパラトライアスリートで、盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、僕がレースのバイクで乗っている、タンデム自転車の話をします。
トライアスロンには、バイクのパートがあります。
IRONMANだと、その距離は180キロです。
見えにくい僕は、これをひとりでは走れません。
そこで使うのが、タンデム自転車。2人乗りの自転車です。
サドルが前と後ろにあって、2人で漕ぎます。前に座るのがガイド。後ろに座るのが僕です。
これは、体力があればいい、という話ではありません。
2人の漕ぐタイミングがずれると、自転車にちぐはぐな力がかかります。
前が踏みこもうとしているのに、後ろがゆるめている。すると、スピードはのらないし、車体もふらつきます。
……2人で乗っているのに、ひとりで乗るより進まない。そういうことが、本当に起きます。
逆に、2人のペダルがぴたりとそろうと、まるでひとつの体が漕いでいるみたいに、自転車はすうっと、なめらかに前へ進んでいきます。
タンデムは、体力だけでなく、2人の息を合わせる乗り物です。
タンデムでは、前と後ろで、役割がはっきり分かれています。
前に座るガイドは、ハンドルを握ります。
道のようす。カーブ。前から来るもの。路面のでこぼこ。
全部を見て、判断して、進む方向を決める。それが前の仕事です。
後ろに座る僕の仕事は、ひとつだけ。
全力で漕ぐことです。
後ろの席には、ハンドルがありません。方向は決められません。
……本当に、漕ぐことしかできません。
でも、前は、見て、決める。後ろは、ただ全力で漕ぐ。そのどちらが欠けても自転車は前に進まないのですから、全部を自分でやろうとせずに役割を分け合うことが、2人で速く、遠くへ進むいちばんの方法なのだと思います。
ここで、少し想像してみてください。
目の前が、よく見えない。この先、道がどう曲がるのか分からない。
その状態で、全力でペダルを踏みこむ。
人は、先が見えないと、体がひとりでに縮みます。こわいから、力を抜いてしまう。いつでも止まれるように、心のどこかでブレーキに足をかけてしまう。
とくに、くだり坂です。
スピードが、どんどん出てきます。見えていれば、この先がまっすぐなのかカーブなのか、自分の目で確かめられます。
後ろの僕には、それが見えません。
正直、こわいです。体じゅうが「にげる」を選びたがります。
つまり、ペダルをゆるめて、スピードを落としたくなる、ということです。
それでも漕ぎ続けられるのは、前のガイドが「大丈夫、このまま行こう」と言ってくれるからです。
そして、その言葉を、僕が信じきれているからです。
「この人なら、安全なほうへ連れていってくれる」と心から思えたときに、はじめて僕は、見えない前に向かって、迷わずにペダルを踏みこめるようになりました。
もし、前のガイドへの信頼が足りなかったら、どうなるか。
僕は、知らないうちに、自分で心のブレーキを踏んでしまいます。
本気で漕いでいるつもりなんです。
でも、心のどこかで「大丈夫かな」と思っていると、体は正直で、ほんの少しだけ力をゆるめます。
その小さなためらいが、2人のスピードを、確実に落とします。
……自分では、全力のつもりなのに、です。
これは、自転車だけの話ではないと思っています。
仕事でも、暮らしでも、同じです。「任せるよ」と言いながら、心のどこかで信じきれていない。
その中途半端がいちばん力が出ない、ということを、前にも進みきれず、かといって自分で方向を変えることもできない後ろの席は、はっきりと僕に教えてくれました。
信じるなら、最後まで信じて、全力で漕ぐ。
全力を出せるかどうかは、どれだけ信じているかの、そのままの答えです。
では、その信頼は、どうやって作るのか。
気合いや根性では、作れません。
信頼は、地味な言葉と段取りの積み重ねでできています。
これだけです。派手なことは、何もありません。
でも、僕の中には、ちゃんとたまっていきます。
カーブのたびに、声をかけてくれた。段差の前で、いつも教えてくれた。
守られた約束がひとつ増えるたびに、信頼のレベルが1つ上がります。
つまり、声かけがひとつ守られるごとに、「この人は自分を守ってくれる」という気持ちが、少しずつ強くなる、ということです。
信頼は、ある日いきなり感動的な場面で生まれるものではなく、こういう小さな約束が何度も何度も守られていった先に、気がついたら静かにできあがっているものでした。
「気合いより段取り」。僕の合言葉は、信頼の作り方そのものでもあります。
正直に書きます。
トライアスロンを始めたばかりの頃、僕は、タンデムの後ろに乗るのが、どこか悔しかったんです。
ハンドルを握るのは、いつもガイド。方向を決めるのも、安全を守るのも、ガイド。
僕は後ろで、ただ漕ぐだけ。
自分が「助けてもらってばかりの側」になったみたいで、情けなくて、認めたくありませんでした。
見えなくなる前の僕は、現場で人をまとめる仕事をしていました。だから、なおさらです。
でも、タンデムに乗る回数を重ねるうちに、見方が変わっていきました。
前のガイドだって、後ろの僕が漕がなければ、自転車を進められません。
どちらか片方だけでは、タンデムは1ミリも動かない。
僕は「助けてもらっているだけ」ではなくて、2人で進むための半分を、ちゃんと受け持っていました。
……気づくのに、だいぶ時間がかかりましたが。
助ける側と助けられる側に、上も下もなくて、それぞれが自分の役割を果たして、2人でひとつの力を出しているだけなのだと分かってから、後ろの席は、悔しい場所ではなく、誇らしい場所に変わりました。
前を信じるから、後ろで全力を出せる。
後ろが全力を出すから、前も思いきり引っぱれる。
2人がぴたりとそろったとき、タンデムは、ひとりでは出せないスピードで、風を切って進みます。
僕にとってタンデムは、競技の道具であると同時に、人と生きることの見本でもあります。
僕たちは、誰も、自分の力だけでは生きていません。
見えるところでも、見えないところでも、たくさんの人に方向を示してもらって、支えてもらいながら、前に進んでいます。
もしあなたが、人に任せるのがこわくて、いつも自分でハンドルを握っているなら。
ひとつだけ、思い出してください。
自分だけで握れるハンドルには、限界があります。
誰かを信じて、後ろの席で全力を出す。それは、弱さでも、丸投げでもありません。役割を分け合う、対等なチームの形です。
いきなり全力でなくて、大丈夫です。
まず、ほんの少しだけ、力をこめてみる。相手がちゃんと方向を示してくれると分かったら、もう少しだけ強く。
僕は、ひとりでは180キロを走れませんが、前を信じて後ろで全力を出すことを覚えてから、ひとりでは決して届かなかった場所まで、進めるようになりました。
心のブレーキから、そっと足を離してみてください。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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25メートルも泳げなかった僕が、ガイドとロープでつながって226kmに挑むまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人