夜中に、気になることを検索してしまった。
そして、眠れなくなった。
そんな夜、ありませんか。
調べなければよかった、と思う。でも、手は止まらない。画面の光だけが、やけに明るい。
もしあなたが、検索窓に病名を打ちこもうとして、指が止まっているなら。
もしあなたが、知るのが怖くて、でも知らないのも怖い夜の中にいるなら。
この記事は、あなたに向けて書いています。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
27歳のとき、緑内障と診断されました。
今日書くのは、その診断の「日」の話ではありません。
そのあとに来た、ひとりでパソコンの前に座った「夜」の話です。
27歳の僕は、電気工事の現場監督をしていました。
図面を読む。職人さんに段取りを伝える。現場を回す。毎日が、あっという間でした。
ある日、天井の照明を見上げました。
光のまわりが、虹色ににじんで見えました。
「疲れてるのかな」。最初は、そのくらいでした。
でも、目の奥が痛い。視界がかすむ。頭も痛い。
さすがにおかしいと思って、病院に行きました。
正直、行くのは少しおっくうでした。仕事は忙しい。たぶん、大したことはない。そう思っていました。
そこで言われた病名が、緑内障です。
そのときの僕の感想を、正直に書きます。
「へ〜、そんな病気があるんだ〜」
以上です。
あの日の僕は、緑内障をレベル1の相手だと思っていました。
つまり、目薬をさしていれば、そのうち治る病気だと思っていた、ということです。
緑内障という言葉を聞くのも初めてで、深刻さなんてまるで分かっていなかった僕の中では、それはまだ「ちょっと面倒な、目の病気」でしかありませんでした。
正直に書くと、診断された日のことを、僕はほとんど覚えていません。
病院からどうやって帰ったのか。空がどんなだったのか。何を考えていたのか。
たぶん、家に帰ったんだと思います。書けるのは、そこまでです。
医者はたしかに「緑内障です」と言いました。
でも、その言葉の本当の重さは、僕にはまだ1ミリも届いていませんでした。
……人生が変わる日のことを、ほとんど覚えていない。今思うと、のんきなものです。
「へ〜」で受け流せたのは、僕が強かったからではありません。
心の準備が、まだできていなかっただけです。
人は、本当に大事なことほどすぐには受け止められないようにできていて、あの日の僕の軽さは、いきなり全部を受け取らないように、心が僕を守ってくれていたのかもしれません。
実感がやってきたのは、緑内障と言われたあとの、ある夜でした。
その日の夜だったのか、何日かあとだったのか。それも、もう覚えていません。
家で、ひとりでした。
ふと、思いました。
「緑内障って、結局どういう病気なんだろう」
軽い気持ちでした。ただの好奇心みたいなものです。
パソコンを開いて、検索窓に病名を打ちこみました。
部屋は静かでした。
画面の光だけが、ぼんやりと顔を照らしていました。
現場の音は、もうどこにもありません。
僕は、画面に並んだ文字を、ひとつずつ読んでいきました。
最初は、ただ読んでいるだけでした。
こういう病気で、こういう原因があって。
他人の症状を眺めるみたいに淡々と読んでいたそのときの僕は、まだ知識を集めているだけのつもりで、文字は心の表面をすべっていくばかりでした。
画面には、こう書いてありました。
緑内障は、視野が少しずつせまくなっていく病気です。
進行を遅らせることは、できます。
でも、一度失われた視野は、二度と戻りません。
遅らせられる。
その言葉に、最初は少しほっとしました。
でも、すぐとなりの「戻らない」が、じわじわと意味を持ちはじめました。
この病気には、セーブした場所からのやり直しがありません。
つまり、失った視野は、あとからどんなにがんばっても取り戻せない、ということです。
背すじが、すっと冷たくなりました。
「へ〜」なんて、もう言えません。
ヤバイ。腹の底から、そう思いました。
僕は現場監督です。図面を読む。細かい数字を確かめる。目で見て、段取りを組む。
それが、仕事のいちばん大事な部分でした。
画面の文字を追いながら、頭の中にある自分の仕事の風景が少しずつくずれていくような感覚があって、これは体の不調ではなく、僕の生き方そのものに関わる話なのだと、その夜、ようやく分かりました。
不思議なことです。
いちばん怖かったのは、診察室で病名を告げられた瞬間ではありませんでした。
誰もいない部屋で、自分で検索して、自分の目で文字を追った、あの夜でした。
なぜだろう、と何度も考えました。
人から言われたことには、まだどこか「人ごと」の余白があります。
医者の言葉は、僕の外側から来ます。受け止めるか、受け流すか、こちらに少しだけ余裕があります。
でも、自分で調べて知ったことには、その余白がありません。
自分で取りに行って、自分の頭で分かってしまった。もう「人ごと」にはできません。
それに、診察室には、お医者さんがいました。看護師さんもいました。
あの夜、僕のとなりには、誰もいませんでした。
「大丈夫だよ」と言ってくれる人もいない静かな部屋で、画面の冷たい光の中にあった1行は、何にもさえぎられずに、まっすぐ僕の奥まで届いてしまいました。
医者が教えてくれたのは、病名でした。
その病名が僕の人生にとって何を意味するのかは、僕がひとりで、画面の前で知りました。
あの夜のあと、僕の人生がすぐに変わったわけではありません。
次の日も現場に出ました。図面を読みました。
目薬をさしました。飲み薬を飲みました。手術も、何度も受けました。
「これで、きっと良くなる」。そう信じたかった。
それでも、進行はゆっくり続きました。
治療のあいだ、僕の中には、2つの気持ちがありました。
「きっと良くなる」と信じたい気持ち。
あの夜に知ってしまった、「戻らない」という事実。
その両方を抱えたまま、手術台に乗るたびに、これで少しでも食い止められますようにと願いつづけた日々は、決して楽ではありませんでした。
でも、今は思います。
あの夜に知ったことは、ゲームオーバーの知らせではありませんでした。
つまり、「いつかこうなる」と分かったうえで、毎日を過ごす準備の時間をもらえた、ということです。
知らないまま、ある日いきなり視界が大きく欠けてあわてるより、ずっとよかった。
知ることは、怖いです。
でも、知ることは、「これから何を工夫すればいいか」を考えはじめる、最初の材料でもありました。
もし今、あなたが、何かを調べて、その文字の前で固まっているなら。
怖くて、息が浅くなっているなら。
僕は、あの夜の自分のとなりに座るような気持ちで、これを書いています。
怖いですよね。
知ってしまったことは、もう手放せません。
でも、これだけは伝えさせてください。
あなたは、「にげる」を選びませんでした。
つまり、怖いと感じているのは、もう現実と向き合いはじめている証拠だ、ということです。
「へ〜」で済ませていた頃の僕は、何とも向き合っていませんでした。
あとは、その怖さを抱えたまま、1ミリだけ動けば十分です。今日できる、ほんの小さなことを、ひとつ。
それから、もうひとつ。
知ってしまったことを、ひとりだけで抱えこまないでください。
あの夜の僕は、ひとりでした。でも本当は、そうじゃなくてよかったのだと、今は思います。
怖いことを誰かに話すだけで、その重さは、ほんの少し軽くなります。
僕が今も競技を続けていられるのは、ガイドさんをはじめ、たくさんの人に支えられてきたからです。
あの静かな夜、画面の前で固まっていた27歳の僕には、盲導犬と歩き、仲間と226キロのレースを進み、こうして誰かに言葉を届けている今の景色は、まったく想像できませんでした。
知ることは、怖い。
でも、知ったあなたは、もう向き合っています。
あなたの今日が、ほんの少しだけ軽くなりますように。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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緑内障がわかった日から、見えなくなっていく中で挑み続けるまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人