夜、布団に入ると、悪い想像ばかりが止まらなくなる。そんな夜は、ありませんか。
もしあなたが、夜になると、言いようのない不安に包まれるなら。
もしあなたが、眠ってしまうのがこわくて、布団の中で目を開けているなら。
もしあなたが、静かな部屋で、答えの出ないことをぐるぐる考え続けているなら。
この記事は、あなたに向けて書きました。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害B2クラスのパラトライアスリートで、盲導犬のシュクレと暮らしています。
27歳で緑内障と言われ、まだ会社にいた頃から、僕は、夜が本当にこわかった。今日は、その夜のことと、そこからどうやって抜け出したのかを書きます。
27歳で、緑内障と言われました。31歳で、視覚障害者になりました。
夜がこわくなったのは、まだ会社にいた、そのあいだの頃からです。
当たり前に見えていた世界が、少しずつせまくなり、かすんでいきました。
昼間は、まだいいんです。
用事があったり、誰かと話していたり。やることがあると、気持ちがそっちへ向いてくれます。
問題は、夜でした。
日が暮れる。一日のやることが終わる。部屋が、静かになっていく。
その時間が近づくと、胸の奥がざわざわして、落ち着かなくなりました。
昼間の僕は、たぶん、周りから見ればふつうでした。人と話して、笑って、用事をこなして。
でも、半分は無理をしていたのだと思います。
明るいうちは心の奥に押しこんでおけたものが、暗くなると、ふたがひとりでに開いて、全部あふれ出してくるので、夜は僕にとって、素の自分と向き合わされる時間でした。
そして、その素の自分は、思っていたよりずっと、こわがっていました。
いちばんこわかったのは、これです。
眠って、朝起きたら、見えなくなっていたらどうしよう。
緑内障は、一度失った視野が戻らない病気です。少しずつ、進んでいきます。
だから、頭の中で想像がふくらみました。
今夜眠る。明日の朝、目を開ける。
そのとき、今日まで見えていたものが、見えなくなっていたら。
眠るというのは、本当なら、一日の疲れをとる安心の時間のはずです。
でも、あの頃の僕にとっては、違いました。
次に目を開けたとき、何が見えなくなっているか分からない。そんな賭けのような時間でした。
……寝るだけなのに、賭けです。
だから、布団に入っても、まぶたを下ろした瞬間に何かを失ってしまう気がして、目を閉じることそのものを、僕は毎晩ためらっていました。
僕を苦しめていたのは、痛みでも、今の不自由でもありませんでした。「明日の自分がどうなっているか分からない」という、先の見えなさでした。
夜の静けさは、不安にとって、最高の舞台でした。
昼間は、いろんな音や用事が、悪い想像を途中で切ってくれます。
でも、夜の静かな部屋には、頭の中の声を止めてくれるものが、何もありません。
ひとつ不安が浮かぶ。それが次の不安を呼ぶ。その不安が、また次を呼ぶ。
仕事はどうなるんだろう。
これから、どうやって生きていくんだろう。
誰かの世話になるばかりになるんじゃないか。
答えの出ないことを、暗い天井に向かって、ぐるぐる考え続けました。
眠れない。眠れないから、また考える。
不思議なことに、夜に考える未来は、いつも最悪の形をしていました。
同じことを昼間に考えれば、「まあ、なんとかなるかも」と思えるんです。
なのに、夜に考えると、必ず悪いほうへ転がっていく。
……毎晩、同じ結末なのに、また最初から考えていました。
暗さと、静けさと、疲れが重なった部屋の中で、あの頃の僕は、まだ起きてもいない最悪の未来を、頭の中で何度も何度も上映し続けていました。
もし誰かに「考えすぎだよ」と言われても、止められなかったと思います。不安は、理屈では止まってくれないからです。
当時の僕は、この不安を、なんとか消そうとしていました。
考えないようにしよう。気にしないようにしよう。前向きに、前向きに。
でも、うまくいきません。
「考えないようにしよう」と思うと、かえって、そのことばかり考えてしまう。
あの頃の僕は、不安をラスボスだと思っていました。
つまり、たおして消してしまわないと、前に進めない相手だと思っていた、ということです。
でも、押さえつけようとすると、押し返してくる。ふたをしようとするほど、すき間からふき出してくる。
……たおせる気が、まったくしませんでした。
消えてくれない不安と、毎晩、終わりのない押し問答をしていたあの時期の僕は、今ふり返ると、そもそも向き合い方をまちがえていたのだと思います。
不安は、ねじ伏せる相手ではありませんでした。
そんな夜を、少しずつ変えてくれたのが、トライアスロンでした。
きっかけは、テレビです。全盲の女の子が、トライアスロンをしていました。
「僕よりも見えない子が、こんなふうに挑んでいる。僕はまだ見えている。だったら、僕にもできるかもしれない」
そう思って、始めました。
始めたときの僕は、完全にレベル1でした。
つまり、25メートルも満足に泳げず、少し走ればひざが痛くなる状態だった、ということです。
できないことだらけです。
でも、不思議でした。
その「できないこと」に向き合っている時間は、布団の中でおびえている時間より、ずっと健やかだったんです。
そして、生活に「明日の予定」が入ってきました。
明日は、泳ぎに行く。明日は、走る。
すると、布団に入ったときに頭に浮かぶものが、変わりました。
「朝起きたら見えなくなっていたら」の代わりに、「明日は何時に起きて、どこへ行くんだったかな」が入ってきます。
明日やることがある、というたったそれだけのことで、眠ることが「何かを失うかもしれない賭け」から「明日のための準備」へと、少しずつ意味を変えていきました。
体が変わっていくのも、大きかった。
泳ぎを習って、少しずつ長く泳げるようになる。走れる距離が、だんだん伸びていく。
夜の不安は、「自分にはもう何もできないかもしれない」という気持ちと、どこかでつながっていたのだと思います。
だから、昼間に「できること」がひとつ増えるたびに、夜の不安は、ひとつずつ小さくなっていきました。
ここで、正直に書いておきます。
トライアスロンを始めたからといって、不安がきれいに消えたわけではありません。
今でも、先のことを思うと、心がざわつく夜は、ないとは言えません。
でも、学びました。
不安は、消さなくていい。抱えたまま、動けばいい。
トライアスロンは、不安を消してくれたのではありません。「明日の予定」が、頭の中の場所を取ってくれただけです。
空っぽの部屋に悪い想像が住みつくなら、そこに別の住人を入れればいい。僕の場合、それが「明日の練習」でした。
僕がいつも大事にしている言葉に、「1ミリの行動」があります。
どんなに不安でも、人は1ミリだけなら動けます。
明日、泳ぎに行く。それだけのことが、不安を抱えた僕を、前に運んでくれました。
じっと座ってにらみ合っていると、不安はどんどん大きく見えてきますが、立ち上がって明日の練習に出かけてしまえば、不安は消えないまでも、いつのまにか行く手をふさぐのをやめて、背中のうしろからついてくるようになります。
それくらいの距離なら、抱えたまま歩いていけます。
あの全盲の女の子が画面の向こうからくれたのは、競技そのものより、「不安なままでも、動いていいんだ」という許しだったのかもしれません。
もし今、あなたが、眠るのがこわい夜を過ごしているなら。
あの頃の僕の隣に座るつもりで、書きます。
その不安を、無理に消そうとしなくて大丈夫です。
消えないからといって、あなたが弱いわけでも、まちがっているわけでもありません。
代わりに、明日の小さな予定を、ひとつだけ作ってみてください。
散歩でもいい。好きな飲み物を買いに行くことでもいい。
「明日、これをやる」という小さな約束を、自分とひとつだけ交わす。
そうすると、眠ることは、明日のための回復になります。
つまり、何かを失う時間ではなく、明日の予定のために体を休める時間になる、ということです。
それから、もしできるなら、その不安を、誰かに話してみてください。
あの頃の僕は、夜のこわさを、ずっと自分だけで抱えていました。
でも、トライアスロンを通じて仲間ができて、気づきました。
こわさというのは、自分だけで抱えていると重くなっていくのに、眠れない夜のことをぽつりと誰かに話せるだけで、ずいぶん軽くなるものです。
不安なままでも、人は1ミリだけ動けます。その1ミリが、長くてこわかった夜を、少しずつ短くしてくれます。
あの頃の僕が、今こうして眠れているように。
今夜、あなたが少しでも安心して眠れますように。最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人