もしあなたが、何年やってもできないことを、抱えているなら。
もしあなたが、何かを始めて3日で「向いてない」と思ったことがあるなら。
もしあなたが、「始めるには、もう遅すぎる」と思っているなら。
この記事は、あなたに向けて書いています。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、25メートルの話をします。小学校の6年間、一度も泳ぎきれなかった25メートルの話です。
小学校のプールの授業。クロールで25メートル。
僕は、一度も泳ぎきれませんでした。1年生から6年生まで、6年間ずっとです。
いつも同じでした。壁を蹴る。腕を回す。5メートル、10メートル。
腕は動いている。なのに、体が前に進まない。
息を吸おうと顔を上げる。そのぶん体が沈む。口に水が入る。そこから先は、腕も足もばらばらです。
気づくと、足の裏に、プールの底のざらつきが触れている。立ってしまったら、そこで終わりです。
スタートの時点で、僕のHPはもう半分くらいしかありませんでした。
つまり、泳ぐ前から「今年もだめだろう」と思っていた、ということ。
顔を拭いて、まだ遠い反対側の壁を見る。水の中を歩いて戻るあいだの、あの時間の長さを、今でも覚えています。
プールサイドに上がると水を吸った水着が重くて、コンクリートの熱だけが足の裏に残り、毎年夏になると、その時間がまた同じようにやってきました。
……6年間、毎年きっちり同じ夏をくり返していたわけです。そこだけ真面目か。
ただ、今になって思うことがあります。
僕が泳げなかったのは、クロールでした。平泳ぎなら、たぶん、いけたかもしれない。
顔を上げるタイミングを、自分で決められる。進まなくなったら、ひと呼吸おける。そのやり方なら、向こうの壁まで行けた気がするんです。
でも、授業で測られていたのはクロールでした。測られ方が、ひとつしかなかった。
だから、僕の記録は「泳げない」でした。
平泳ぎを試す機会も、「こっちならどうですか」と言う発想も、当時の僕にはありません。
「泳げない子」という札が先に貼られて、その中身を、誰も、そして僕自身も、一度も開けてみようとしなかった、ということだと思います。
時間は飛びます。31歳。
その年、僕は見える範囲が狭くなって、視覚障害者になりました。13年勤めた会社も、離れることになりました。
そして同じ年に、トライアスロンを始めています。
……いちばん足元が崩れた年に、いちばん遠いスポーツ。順番、おかしくないですか。
きっかけは、テレビでした。全盲の女の子が、トライアスロンをしている映像です。
画面の前で動けなくなって、気づいたら涙が出ていました。
「僕より見えない子が、やってる。僕は、まだ見えてる。だったら、僕もできるかもしれない」
始めた日の僕を、正直に並べてみます。
完全に、レベル1でした。
つまり、何ひとつ持っていない状態から始めた、ということ。
泳げるようになってから始めたんじゃなくて、25メートルで沈む体のまま、1キロで膝が痛くなる脚のまま、とりあえず水に入った、ただそれだけです。
とはいえ、決めてから動くまでが長かった。
頭の中は、「やらない理由」でいっぱいでした。
ぶつかるかもしれない。転ぶかもしれない。プールで人に迷惑をかけるかもしれない。
見えにくい自分を、受け入れてくれる場所なんてあるのか。笑われるんじゃないか。続かなかったら、もっと自分が嫌いになるんじゃないか。
リストは、いくらでも長くできました。しかも、どれも納得できる理由ばかり。たちが悪い。
あの頃の僕は、戦う前に「にげる」を選びかけていました。
つまり、やってみる前に、自分であきらめようとしていた、ということ。
でも、眺めているうちに気づきました。やらない理由は、全部「うまくいかなかったらどうしよう」という、未来の心配だったんです。
まだ起きてもいないことばかりを先回りして怖がって、僕は今日の自分の足を、ほかの誰でもない自分の手で止めていたんです。
だから、考え方をひとつだけ変えました。
「強くなるためじゃなくていい。誰かと比べるためでもなくていい。まず、今日を生きるためにやってみよう」
半年後のことは分からない。でも「今日プールに入る」なら、できる。
ゴールを遠くに置くと、足がすくむ。目標を「今日」まで引き寄せたら、急に動けるようになりました。
水に入りました。でも、僕のスイムは、小学6年生で止まったままです。
25メートルの途中で足をつく。あの状態から、一歩も動いていない。
それまでの僕には、ある選択肢がありませんでした。「できないことを、できる人に教わる」です。
できないのは自分のせい。だから自分でなんとかするしかない。ずっとそう思っていました。
……いや、それで19年なんとかならなかったんですけどね。
トライアスロンを始めた頃、「トータルイマージョンスイム」という泳ぎ方を、先生と1対1で習いました。
習ってみて、分かりました。僕がやっていたのは「泳ぐ」じゃなかった。「必死に水をかき回す」でした。
腕をどこに入れるか。どこで息を吸うか。どこで力を抜くか。
ひとつずつ直していくと、同じ水なのに、体の下の感触が変わっていきました。バタバタという音が減って、耳のすぐ横を水が流れる音になる。
そして、ある日。
顔を上げずに腕を回し続けていたら、指先が、硬いものに当たりました。25メートル先の壁でした。
立ち上がって振り返ると、自分が来た側が、ずいぶん遠くにありました。31歳。人生で初めて、クロールで25メートルを泳ぎきった日です。
あの壁は、僕の最初のセーブポイントになりました。
つまり、「ここまでは来られた」と、あとから何度でも思い出せる場所になった、ということ。
何かが劇的に変わったわけではないけれど、19年間ずっと自分の中にあった「泳げない」という前提は、その日を境に、事実ではなくなりました。
僕の競技のことを、少しだけ説明させてください。
視覚障害B2クラスのトライアスロンは、ガイドと二人でひとつのチームになって進みます。
自分だけでは、泳げないし、走れない。弱音じゃなくて、ルールです。
レースの日は、スタートからゴールまで、ずっと誰かとつながっている競技なんです。
正直、最初は悔しかった。
電気工事の現場で13年。自分の手で図面を見て、自分の足で現場を歩いてきた人間です。
それが、人に頼らないとできないことが、ひとつ、またひとつと増えていく。
ロープを持ってもらうたびに、「迷惑をかけている」と思っていました。お礼を言いながら、自分が小さくなっていく気がしたんです。
でも、時間をかけて、その気持ちは少しずつほどけていきました。あるとき、はっきり気づいたんです。
助けてもらうって、弱さじゃない。一緒にゴールを目指す、対等なチームなんだ、って。
ガイドは僕の目になってくれる。そのかわり僕は、相手を信じて、同じ方向へ全力で進む。
考えてみれば、ガイドだって僕がいなければそのレースは走れないし、僕が信じて体をあずけるから、ロープはただのひもじゃなく、二人をつなぐ綱になるんです。
そこからは、積み重ねの毎日でした。劇的な特訓も、根性論もありません。
25メートルが、50メートルに。50メートルが、100メートルに。
1キロで痛くなっていた膝で、少しずつ走れる距離が伸びていく。
昨日できなかったことが、今日ほんの少しできる。その繰り返しです。
そして、始めて半年ほどたった2012年。初めての大会に出ました。
その日は寒くて、スイムが中止になりました。バイクとランだけの大会です。
……ここまで25メートルの話をしておいて、泳いでないんかい。自分でもそう思います。
ガイドは、入った倶楽部で教えてくれていた原田コーチでした。
結果は、1位でした。
信じられませんでした。でも、自分の力だけでたどり着いた結果じゃありません。つながる輪の中で、支えられて届いた結果です。
ただ、あの半年を振り返っていちばん大きかったのは、順位でも賞状でもなく、もっと地味で、もっと深いところで、僕の毎日が変わっていたことでした。
半年で起きた本当の変化は、3つあります。
ひとつめ。外に出る理由ができました。
見えにくくなってから、僕は家にこもりがちでした。夜になるのが怖かった。眠って、朝起きたら、もっと見えなくなっているんじゃないか。そう思うと、布団に入るのが怖い夜がありました。
でも、「今日は練習がある」という予定が、僕を外に連れ出してくれました。不安を抱えたままでも、予定がひとつあるだけで、人は外に出られるんです。
ふたつめ。仲間ができました。
見えにくくなったら、人とのつながりは減っていく。そう思っていました。実際は、逆でした。ガイドと出会い、仲間と出会い、つながる輪がむしろ広がっていきました。
みっつめ。自分を責める時間が減りました。
「昨日できたことが、今日できない」。それまでの僕は、毎日それで自分を責めていました。
でもトライアスロンは、「積み上げる感覚」をくれました。昨日より1メートル長く泳げたら、それは前進です。
自分を責めるたびに減っていたHPが、少しずつ回復するようになりました。
つまり、心がすり減るばかりだった毎日が、少しずつ元気を取り戻せる毎日に変わった、ということ。
この3つは賞状には1文字も書かれていないけれど、僕の人生を本当に立て直してくれたのは、1位という結果より、こっちのほうでした。
僕の「泳げない」の中身は、こうでした。
開けてみたら、「才能がない」は、ひとつも入っていませんでした。
もし今、何年やってもできないことを抱えているなら。始めたばかりで「全然できない」と落ち込んでいるなら。
始めた日の自分は、人生でいちばん下手な自分です。当たり前です。まだ何も積み上がっていないんだから。
それは「ダメな自分」じゃなくて、「スタートに立った自分」です。
比べる相手は、隣にいるすごい人じゃなくていい。昨日の自分だけでいい。
何年できなくても、それはゲームオーバーではありません。
つまり、終わったわけではなく、まだ途中にいるだけ、ということです。
そして、頼ることを弱さだと思わないでください。僕の25メートルを開けてくれたのが、教えてくれた人だったように、あなたの「できない」を一緒に開けてくれる人も、きっとどこかにいます。
小学校で貼られた「泳げない子」という札だって、僕は31歳ではがすことができたのだから、遅すぎるということは、たぶん、ありません。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
25メートルの途中で立っていた日の僕も、今日のあなたも、まだ途中です。焦らなくていい。今日の1ミリを、一緒に積んでいきましょう。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人
2026年9月13日、IRONMAN JAPANを完走しました(14時間43分54秒・PCクラス2位)。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。次の挑戦も、日々の練習やレースの様子を発信していくので、そばで見届けてもらえたら嬉しいです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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25メートルも泳げなかった僕が、ガイドとロープでつながって226kmに挑むまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
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