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📅 2026.06.10(更新 2026.10.10) | RYU NAKAZAWA
🌱 視覚障害

27歳で緑内障と診断された日|およそ20年後の僕から、過去の自分に届けたい言葉

⏱ 約5分で読めます(3,269字)
サイクリングヘルメット姿のパラトライアスリート中澤隆

「この先、どうなるんだろう」。そう思って、眠れなかった夜はありませんか。

もしあなたが今、自分の体がこれからどうなるのか分からない場所に立っているなら。

もしあなたが、「仕事を続けられないかもしれない」という不安を抱えているなら。

もしあなたが、「もう、何も信じられない」と感じる夜を過ごしているなら。

この記事は、およそ20年前の僕に届けたい言葉です。そして、今、似た場所に立っているあなたへの手紙でもあります。

僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。

27歳で緑内障と言われました。31歳で視覚障害者になりました。13年勤めた会社は、クビになりました。

その僕が今、226kmのIRONMANを完走しています。あの日の僕が聞いたら、たぶん笑います。「誰の話?」と。

📖 この記事の目次
  1. 27歳、「緑内障です」と言われた日
  2. 4年かけて、少しずつ見えなくなった
  3. 13年勤めた会社を、クビになった
  4. もう一度、学び直すことにした
  5. あの頃は想像もできなかった、今の場所
  6. 27歳の僕へ
  7. 今、似た場所に立っているあなたへ

27歳、「緑内障です」と言われた日

27歳のとき、僕は緑内障と診断されました。

それまでの僕は、ふつうに見えていました。会社で働いて、自分の将来を、当たり前のように思い描いていました。どこにでもいる20代です。

「緑内障」と言われても、正直、すぐにはピンと来ませんでした。

言葉は知っている。でも、それが自分の人生に何を起こすのかは、分かっていない。

人生が変わる日なのに、本人はぼんやりしていました。のんきなものです。

分かっていたのは、ひとつだけでした。「これは、進んでいく病気だ」ということ。

頭ではそれが分かっていても、心のほうはまだ受け止めきれず、僕はその大きな知らせを、どこに置いたらいいのか分からないまま、ただ抱えていました。


4年かけて、少しずつ見えなくなった

診断から4年。31歳で、僕は視覚障害者になりました。

27歳から31歳までの4年間は、「だんだん見えにくくなっていく」時間でした。

視野がせまくなる。文字が読みにくくなる。

毎日、HPが1ずつ減っていく感じでした。

つまり、昨日までできていたことが、少しずつ、できなくなっていった、ということです。

「中途失明」という言葉があります。生まれつきではなく、人生の途中から見えなくなることです。

ある日とつぜん真っ暗になるのではなく、いつもの風景が、少しずつ、でも確実に形を変えていくのを、僕は4年かけて、自分の目で見送りました。


13年勤めた会社を、クビになった

視覚障害者になったあと、僕は13年勤めた会社をクビになりました。

「働けなくなるかもしれない」。その不安は、見えにくくなったときから、ずっとありました。

覚悟はしていたつもりです。でも、本当にその日が来ると、思っていたよりずっと重かった。覚悟なんて、あてにならないものです。

「キャリアが終わる」

「これから、どうやって生きていくんだろう」

あのときの僕には、「ゲームオーバー」の文字が見えていました。

つまり、自分の人生はここで終わりだ、と本気で思っていた、ということです。

見えにくくなっても、まだ働ける場所はあると信じていた僕が、その信じていたものを、いったん床に置かなければいけなくなった日のことは、今でもはっきり覚えています。


もう一度、学び直すことにした

どん底で、僕はひとつだけ決めました。

「もう一度、学び直そう」

筑波技術大学に入りました。そして、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取りました。

30代で、レベル1からのやり直しです。

つまり、13年分の仕事の経験をいったん横に置いて、いちばん初めから学んだ、ということです。

目が見えにくくても、自分の手で人の体を楽にできる。自分の手で、暮らしを立てられる。そういう仕事を、もう一度、自分のものにしたかったのです。

そのあと、僕は「アスリート雇用」という形で、会社に所属することになりました。

「もう働けない」と思っていた僕が、また働いている。

「終わりだ」と思っていた人生が、まだ続いている。

クビになったあの日の僕にこれを伝えても、きっと信じないし、信じられないまま、それでも次の日の朝には起きて、できることをひとつだけやっていたのだと思います。


あの頃は想像もできなかった、今の場所

アラフィフになった今、僕はこんな場所にいます。

スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km。合わせて226kmです。

27歳の僕は、「IRONMAN」という言葉すら知らなかったと思います。知らない言葉が、今、人生の真ん中にあります。おかしな話です。

もちろん、僕の力だけで来たわけではありません。

妻、盲導犬のシュクレ、ガイドの平川さんと河原さん、そして応援してくれるたくさんの人たちがいてくれたから、見えにくくなっていく世界の中でも、僕はここまで進んでこられました。


27歳の僕へ

📩 27歳の僕へ

君は今、たぶんこわいと思う。

「これからどうなるんだろう」と、何度も自分に聞いていると思う。

そのこわさは、今でも覚えている。だから「大丈夫だよ」なんて、軽い言葉は言わない。こわいのは、当たり前だ。

でも、ひとつだけ伝えておきたい。

君が思っている「最悪」より、君の人生は、ずっと豊かになる。

君は、視覚障害者になる。13年勤めた会社をクビになる。これは本当に起きる。先に言っておく。

でも、その先のことを、君はまだ知らない。

今の君に「IRONMANを完走するよ」と言っても、「無理」と返ってくるだろうね。知ってる。僕だから。

でも、本当に起きる。ひとつずつ、ゆっくり、たしかに起きる。

だから今は、こわくていい。落ち込んでいい。泣いてもいい。

ただ、その毎日の中で、「1ミリの行動」だけは続けてほしい。

朝、起きること。今日できる小さなことを、ひとつやること。明日、また起きること。

それだけでいいし、それだけを続けていけば、君はいつか、今の君にはまったく想像できない景色の中に、ちゃんと立っている。

アラフィフの僕より


今、似た場所に立っているあなたへ

ここまで、昔の僕に書いてきました。でも本当は、今読んでくれているあなたへの手紙でもあります。

目のことかもしれない。別の病気かもしれない。仕事を失ったばかりかもしれない。

僕は、あなたの事情をぜんぶは知りません。だから、えらそうに「大丈夫」とは言いません。

ただ、ひとつだけ。

「弱さ」と「行動」は、一緒に持てます。こわくても、不安でも、人は1ミリだけなら動けます。

27歳の僕は、落ち込んでいました。それでも、落ち込んだまま、毎日の小さなことは続けていました。

もし今、何もできないと感じているなら、こんなことからで十分です。

どれも、僕が見えにくくなってから続けてきたことです。すごいことは、ひとつもありません。毎日「めんどくさいな」と思いながらやっている、小さなことです。

この1ミリは、小さな回復です。

つまり、1ミリ動くたびに、「自分はまだ動ける」という気持ちが、少しだけ戻ってくる、ということです。

あなたのこの先を、僕は知りません。信じなくてもかまいません。「無理」と思ったままでいいです。

それでも、今日1ミリ、明日また1ミリと動いていった先で、いつかあなたの景色と僕の景色がどこかで交わる日が来ることを、僕は本気で楽しみにしています。

あなたの今日の1ミリを、心から応援しています。


🌱 おなじ不安の中にいるあなたへ

僕が視覚障害になってから今日までの道のりを、16分の動画にまとめています。文章より、声のほうが届く日もあると思うから。よかったら、そばに置いておいてください。

▶️ 動画「目が見えないのに、226km。」 📖 視覚障害の人を見かけたら|当事者が伝えたい声のかけ方と、3つのお願い

最後まで読んでくれて、ありがとうございます

中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。

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動画でも見られます:緑内障シリーズ

緑内障がわかった日から、見えなくなっていく中で挑み続けるまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。

▶ 緑内障シリーズを第1話から見る(YouTube)

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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
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