もしあなたが、前より結果が落ちて、自分の積み重ねを疑いそうになっているなら。
もしあなたが、頼りにしていたものが、肝心なときに動かなくなった経験があるなら。
この記事は、あなたのためのものです。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害B2クラスのパラトライアスリートで、盲導犬シュクレと暮らしています。
今日書くのは、2025年9月、二度目のIRONMAN JAPANの話です。スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km。合計226km。
うまくいかなかった一日です。それなのに、忘れられない一日になりました。
まず、数字を並べます。
同じ大会。同じ距離。隣には、同じガイドの河原さん。
それなのに、タイムは二時間近く遅くなりました。
数字だけ見れば、レベルが下がったように見えます。
つまり、1年かけて後戻りしたように見える、ということ。
でも、この一日は、僕にとって大切な一日になりました。なぜなのか、前々日から順番に書いていきます。
前々日は、受付と競技説明会でした。ゼッケンとタイミングチップを受け取り、チップを足首に巻いた瞬間、「ああ、本当に出るんだ」と実感が押し寄せてきます。
目が見えにくい僕にとって、知らない場所での受付は、それだけで関門です。どこに並ぶのか、何を渡されるのか、隣にいてくれる人に教えてもらいながら、ひとつずつ確かめていく。
慣れた人なら数分で済むことに、僕は何倍も時間をかけますが、急ぐとかえって手が止まることを知っているので、ここでは決して急ぎません。
前日には、海で泳いでコースを確かめる試泳が予定されていました。
その試泳が、中止になりました。
僕にとって、これはこたえました。
僕はコースの景色を、目で覚えておくことができません。代わりに頼るのは、体に入ってくる感覚です。水の冷たさ、波のリズム、ガイドとつないだロープの張り具合。
それを前日のうちに体に覚えさせて、本番で「ああ、これだ」と思えるようにしておく。その予習の時間が、丸ごとなくなりました。
しかも僕は、もともと波が苦手です。
セーブもせずに、いきなり本番に挑むような気分でした。
つまり、何も確かめられないまま、いちばん大事な場面に入っていく、ということ。
こわくないと言えば、嘘になります。
でも、ひとつだけ決まっていることがありました。明日、僕は走る。
だったら、不安を消そうとするのはやめよう。そう思いました。不安を抱えたまま、手の届くところだけ、ひとつずつ整えておく。
体でできない予習を、言葉と頭の中でやったわけです。
手を動かしていると、心が少しずつ落ち着いてきました。不安は消えません。でも「やれることは、やった」という感覚が、少しずつ積み上がっていく。
布団の中で思い出したのは、ここまで一緒に準備してくれた人たちのことで、支えてくれる人の顔を思い浮かべると、不安は消えなくても、不安と一緒に眠れるのだと知りました。
当日は、午前3時半に起きました。
ふだんは朝4時半から6時のあいだに起きているので、早起きには慣れています。それでも、レースの日の3時半は特別です。
4時20分に宿を出て、4時半のバスで会場へ。仲間の「おはよう」「今日もよろしく」という声が、こわばった気持ちをほどいてくれました。顔は見えなくても、声には人柄が乗っています。
スタート前、少しだけ海に入りました。風は強く、波もかなり高い。苦手な、チャプチャプした波です。
僕のカテゴリーはPCオープン。一般の選手より5分早い、6時25分のスタートでした。
スイムでは、河原さんとロープでつながって泳ぎます。海の中で、僕の目はまったく使えません。頼れるのは、ロープ一本と、ガイドとの呼吸だけです。
1周目から、波と、選手同士のぶつかり合い。息を吸おうとした瞬間に波がかぶって、海水を飲みます。どこから来るか分からない肩や足が、体に当たる。
それでも、ここで慌てたら呼吸が乱れる。ロープだけを信じて、腕を回し続けました。
2周目。第一ブイのあたりで、河原さんに呼び止められました。
ライフセーバーの「イエロー、イエロー」という声。目印のブイが、波で流されてしまっていたんです。
何が起きているのか、僕には自分では分かりません。河原さんが状況を確かめて、軌道を直して、再スタート。
見えないからこそ隣の人を信じきる、ということの意味が、あの「イエロー、イエロー」の一瞬に、ぎゅっと詰まっていました。
スイムは1時間27分53秒。前の年より7分ほど遅い。でも、この荒れた海を、止まらずに泳ぎきれました。
海から上がって、タンデム自転車で180km。前に河原さん、後ろに僕。
僕は、前が見えません。今の速さも、進んだ距離も、心拍も、目では確かめられない。
そこで、GPSウォッチの数字を、骨伝導のイヤホンで音声にして聞いています。骨伝導は耳をふさがないので、ガイドの声も周りの音も聞こえます。
言ってみれば、僕は耳から走っているんです。
ところが、その耳に流れてくる音声が、おかしい。
400mごとに、ラップの知らせが入ってくる。時計のモードが「ラン」になっていました。原因は、はっきりしません。
まだ漕いでいるのに、時計の中では「走っている」ことになっている。……相棒と、話がかみ合いません。
指先で小さなボタンを探って直そうにも、揺れる自転車の上では簡単ではない。関門の時間があるので、止まって直す余裕もありません。
そんなとき、前の河原さんは黙りませんでした。「ここから、ちょっと上るよ」「いいペースだよ」。
その声が、時計の代わりの道しるべになりました。
そして後半。耳に、何も流れてこなくなりました。
時計の電池が、切れたんです。
HPの表示が消えたまま、戦い続けるようなものです。
つまり、自分にどれだけ力が残っているのか、数字では分からなくなった、ということ。
それでも、慌てませんでした。数字が消えても、体に残っている感覚があります。
吸って、吐いて、踏み込む。前から伝わってくるリズムに、自分の脚をそっと重ねる。
道具は、ときに黙ります。でも、時計が黙ったならガイドの声を聞き、声と自分の体の感覚で足りないところを埋めていけば、道具を全部なくしても、僕はちゃんと前に進めていました。
バイクは6時間06分53秒。前の年より20分ほど遅い。沿道から「ナカザワー!」と呼んでくれる声にも、何度も背中を押されました。
自転車を降りたとき、時計の画面にはもう何も出ていませんでした。それでも、なんだか憎めない。お前も、最後までがんばったもんな、と。
最後は、42.195kmのランです。
ランは、河原さんとロープで横に並んで走ります。「段差」「カーブ」「坂」「給水所」。声をかけてもらうたびに、次の一歩の置き方を変えていきます。
20kmまでは、淡々と進めました。
でも20kmを過ぎたあたりで、股関節に違和感が出はじめました。最初は「あれ、少し重いかな」くらい。それが一歩ごとに強くなって、30km手前では、はっきりした痛みになりました。
32km地点で、決めました。1km走って、1kmパワーウォークで歩く。それを、交互にくり返す。
そこから後半は、走って、歩いて、また走って、歩いての連続です。
歩くことは、ゲームオーバーではありません。
つまり、走れなくなっても、レースが終わったわけではない、ということ。
河原さんは、痛みでペースが落ちた僕に合わせて、ずっと隣を歩いてくれました。「次の給水所まで」「次のカーブまで」。小さな目標を、声で刻んでくれる。
正直に書きます。苦しかったです。前の年ならもう終わっている時間を、僕はまだ進んでいる。「遅い」という事実が、ずっとのしかかっていました。
それでも、止まろうとは一度も思いませんでした。沿道に、声があったからです。「中澤さん!」「がんばれ!」
姿ははっきり見えなくても声は届き、歩いている僕にも走り出した僕にもかけられるその声が、痛む脚をもう一度前に出させてくれました。
ランは7時間17分39秒でした。
見えない僕にとって、ゴールは「見える」ものではなく、「聞こえる」ものです。
近づいてくるアナウンスの声。大きくなっていく拍手と歓声。河原さんの「もうすぐだよ、まっすぐ!」。
光ではなく、音が、僕をゴールへ連れていってくれました。
15時間08分45秒。トラブルだらけの、長い長い一日の合計です。
そして、ゴールのあとに、ひとつ知らせがありました。
その年から、PCオープンの表彰式が新しく始まったんです。前の年までは、僕たちのカテゴリーに表彰はありませんでした。
僕は、PCクラスで2位。タイムは二時間近く落ちたのに、順位はひとつ上がっていました。それだけ、条件の厳しい一日だったのかもしれません。
表彰の場で、盾を受け取りました。
手のひらに、ずしりとした重さ。目では形を細かく見られません。でも、重さと、硬さと、ひんやりした感触で、「僕は今、盾を持っているんだ」と分かりました。
込み上げてきたのは、飛び上がるような喜びではなく、もっと奥のほうからじわりと広がってくる、心のいちばん深いところで「やりきったな」とつぶやくような、静かな何かでした。
タイムは二時間近く落ちました。それなのに、なぜこの一日に値打ちがあると思えるのか。自分に聞いてみました。
答えは、はっきりしています。
タイムは、その日の海や、風や、体の調子で、いくらでも変わります。
でも、「最後まで止まらなかった」という事実は、誰にも変えられません。
数字は、落ちた。でも、過程は落ちていない。条件が厳しかったぶん、むしろその過程は重くなっていて、手の中の盾の重さは、きっとその過程の重さでもあったのだと思います。
そして、いちばん強く思うのは、これです。
僕が挑み続けられるのは、支えてくれる人たちがいるからこそ。
荒れた海では、河原さんがロープ一本でつながって導いてくれた。時計が黙ったバイクでも、前で漕いで声をかけてくれた。歩いたランでも、隣にいてくれた。名前を呼んでくれた沿道の人たち。前日まで一緒に準備してくれた仲間。見守ってくれる家族と、盲導犬シュクレ。
僕は、自分の力だけでは、海も泳げないし、自転車もまっすぐ漕げません。だからこそ、僕の周りにはいつも誰かがいてくれます。
翌年の2026年9月、僕は14時間43分54秒で、PCクラス2位でした。数字は戻りました。でも、僕の中で軸になっているのは、やっぱりあの盾の重さです。
もしあなたが今、結果が落ちて落ちこんでいるなら。数字だけで、自分を決めないでください。最後まで止まらなかった過程は、ちゃんとあなたの中に残っています。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
2026年9月13日、IRONMAN JAPANを完走しました(14時間43分54秒・PCクラス2位)。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。次の挑戦も、日々の練習やレースの様子を発信していくので、そばで見届けてもらえたら嬉しいです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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25メートルも泳げなかった僕が、ガイドとロープでつながって226kmに挑むまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
▶ IRONMANシリーズを第1話から見る(YouTube)
「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、人生現役で挑み続ける