25キロ地点で、僕は足を止めました。
ゴールは42.195キロ。そこまで、行けませんでした。
途中でやめてしまったこと、ありませんか。
そして、そのあとずっと、自分を責めていませんか。
「また最後までできなかった」と、誰にも言えないまま。
この記事は、そんなあなたに向けて書きました。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、僕の失敗の話です。2026年4月、かすみがうらマラソンを25キロでリタイアしました。
かっこいい話ではありません。でも、あの日のあとにやった3つのことが、今の僕を支えています。
このマラソンは、9月のIRONMANに向けた足慣らしでした。
フルマラソンの距離を、一度体に通しておきたかったのです。
目標タイムを決めました。補給の計画も立てました。
僕は、ひとりでは走れません。ガイドと1本のロープを握り合って走ります。
「右に曲がるよ」「段差あるよ」「もうすぐ給水だよ」。ガイドの声が、僕の目のかわりです。
前半は、悪くありませんでした。リズムもよかった。
でも、20キロを過ぎたころから、僕のHPは目に見えて減っていきました。
つまり、体がだんだん重くなって、思うように動かなくなった、ということです。
脚が上がらない。息が乱れる。ガイドの声に返事をするのが、少しずつ遅れていく。
そして25キロ。僕は足を止めました。リタイアです。
……足慣らしで、足が止まりました。笑えません。
「また、途中で終わってしまった」という言葉が頭の中をぐるぐる回って、応援してくれた人の顔が浮かんで、隣のガイドに何と言えばいいのか、僕には分かりませんでした。
ひとつ、正直に書きます。
僕は、力がつきて倒れたわけではありません。最後は、自分で決めて止めました。
気合いで進むことも、できたかもしれません。
でも、フォームがくずれたまま無理に脚を動かせば、その先にあるのは怪我です。
怪我をしたら、9月のIRONMANに出られなくなります。
この日のマラソンは、足慣らし。ラスボスは、9月でした。
つまり、いちばん大事な本番は、この日ではなかった、ということです。
ここで体をこわして何か月も練習できなくなることが、いちばんやってはいけないことでした。
だから、止めました。今日のゴールより、9月の本番を選びました。
僕は、「ここで止めて、次にかける」という判断も、挑戦の一部だと思っています。
とはいえ、です。頭で「正しい」と分かっていても、心はついてきません。
止めると決めた瞬間も、止めたあとも、くやしさはずっと胸に残っていて、僕はそれを消そうとはせず、くやしいまま置いておくことにしました。
リタイアした夜、布団の中で、自分に聞きました。
「この失敗を、ただの失敗で終わらせるのか。それとも、次の材料にするのか」
自分を責めるのは、かんたんです。
「自分はダメだ」「練習が足りなかった」「向いていないのかも」。いくらでも言えます。
でも、どれだけ責めても、体は1ミリも前に進みません。明日の僕が強くなるわけでもありません。
僕には、大事にしている言葉があります。「ピンチはチャンス」。
見えなくなったこと。思い通りにならないこと。失敗したこと。それ自体は、もう変えられません。
でも、それをどう扱うかは、自分で選べます。
リタイアは、ゲームオーバーではありません。
つまり、一度止まっても、そこで全部が終わるわけではない、ということです。
同じひとつのリタイアでも、扱い方しだいでまったく違うものになるのだと気づいたあの夜、僕はこの失敗を、気持ちで終わらせずに「次に使えるやり方」に変えようと決めました。
そこから生まれたのが、これから書く3つです。
まずやったのは、記録です。
「ダメだった」「きつかった」とは書きません。事実だけを書きます。
なぜ気持ちをぬくのか。「ダメだった」は、記録にならないからです。
あとで読み返しても、気持ちが沈むだけ。何も学べません。
でも「25キロ地点で、補給が少し遅れていた」と書けば、次に使える手がかりになります。「次は、補給を少し早めよう」と、行動が決まります。
これは、失敗をセーブしておく作業です。
つまり、あとで何度でも見返せる形で、その日のことを残しておく、ということです。
僕は、走った景色や時計の数字を、あとから目で思い出すことができません。
だからこそ、その日のうちに、体で感じたことを言葉にして残します。声のメモでもいい。誰かに書いてもらってもいい。
「ダメだった」はただの感想ですが、「25キロで補給が遅れた」は次の自分への手紙になるのだと、僕は失敗を記録するたびに思います。
失敗の原因は、探せばいくらでも出てきます。
睡眠。補給。ペース。練習量。合図。気温。気持ち。
全部いっぺんに直そうとすると、どうなるか。どれも直りません。気持ちだけが重くなって、動けなくなります。
だから僕は、直すところを1つだけにしぼります。
あの日の記録を見返すと、直したいところは、たしかにいくつもありました。
でも、「次のレースまでに、いちばん効きそうな1つ」だけを選びました。
欲ばらない。1つだけを、とことん変える。それができたら、次の1つへ。
これは、僕の目とも関係があります。
見えにくい僕は、走りながら気にできることが、多くありません。あれもこれも考えながらは、走れないのです。
だから本番でも、「今日はこの1つだけ意識する」と決めて走ります。
競技だけの話ではありません。
仕事でも勉強でも、うまくいかなかったとき、人は原因を10個も20個も並べたくなるものですが、明日から本当に変えられるのは、せいぜい1つです。
3つ目が、いちばん勇気のいることでした。
リタイアというかっこ悪い結果を、応援してくれた人に、正直に報告することです。
正直に言うと、隠したかった。
「途中でやめました」なんて、自分から言いたくありません。黙っていれば、誰も気づかないかもしれません。
ここで僕は、「にげる」を選びそうになりました。
つまり、悪い結果だけは言わずに、黙っておこうとした、ということです。
でも、隠すと、応援してくれた人とのあいだに、少しずつ距離ができます。
いい結果のときだけ報告して、悪いときは黙る。それを続けたら、相手は「本当のところは見せてもらえないんだな」と感じるはずです。
だから、まっすぐ伝えました。
「25キロでリタイアしました。原因はここです。次はこの1つを直して、また挑みます」
言い訳はつけません。大げさに落ちこんでも見せません。事実と、次の一歩だけ。
すると、「正直に話してくれてありがとう」「次も応援するよ」と言ってもらえて、応援してくれる人が、前よりも近くなりました。
見えにくい僕は、そもそもひとりでは走れないのですから、うまくいかなかったときほど、支えてくれる人には隠さずに伝えたいと思っています。
あの日、いちばん申し訳なかったのは、隣で走ってくれたガイドです。
僕がリタイアすれば、ガイドのレースも、そこで終わります。
2人で握ったロープを、僕の都合で離すことになる。最初に来たのは「ごめん」でした。
でも、あの日のことをいっしょに振り返るうちに、その「ごめん」は、少しずつ「ありがとう」に変わっていきました。
どこで僕の返事が遅れたか。どの給水で、合図がもう一歩だったか。
それをいちばん近くで見ていたのは、ガイドです。僕だけでは気づけなかったことを、ガイドが教えてくれました。
あの25キロは、今の僕の中で、もうただの失敗ではありません。
残した記録は、補給の計画と合図の確認に生きました。
そして2026年9月13日。僕はIRONMAN JAPANを完走しました。14時間43分54秒、PCクラス(障害のある選手のクラス)2位です。
4月に25キロで止まった人間が、9月に226キロを進みきりました。……自分でも、少しおどろいています。
あのとき無理をせずに止めたことも、記録を残したことも、正直に伝えたことも、全部が9月のあのゴールの土台になっていたのだと、今は思います。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます。
もしあなたが、途中で足を止めてしまって、今も自分を責めているなら。
責めるのを、いったんやめてみてください。責めても、前には進めません。
かわりに、3つだけ、試してみてほしいのです。
僕は、25キロで足を止めた日から、ここまで来ました。
それは、僕の力だけではありません。ガイドと、応援してくれる人たちに支えられて来ました。
あなたが途中で止まったことは、終わりではありません。
失敗そのものよりも、失敗のあとにどう動くかのほうがずっと大事で、止まった場所は、次に進むための材料がいちばんたくさん落ちている場所なのだと、僕は思っています。
また、1歩から。いっしょに始めましょう。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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25メートルも泳げなかった僕が、ガイドとロープでつながって226kmに挑むまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人