もしあなたが、いつか来る大切な存在との別れを、考えるだけで胸が苦しくなるなら。
もしあなたが、長くそばにいてくれた誰かに、ちゃんと「ありがとう」を言えているか不安なら。
もしあなたが、これから盲導犬と暮らそうか、迷っているなら。
この記事は、あなたのためのものです。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。いまは2頭目の盲導犬、シュクレと暮らしています。
今日は、シュクレの前にいた、僕の最初の相棒の話です。名前は、デネブ。
出会いから、引退、そして14歳になったデネブに会いに行った日まで。手紙のつもりで書いてみます。
デネブと出会ったのは、僕が大学に通っていた頃です。
大学といっても、10代の話ではありません。入学したのは、30を過ぎてから。視覚障害者になってから、人生をやり直すために選んだ学び直しでした。
それまでの僕は、目を使う仕事をしていました。電気工事の現場監督です。
でも緑内障で、見える世界が少しずつ削れていった。最後には、長く勤めた職場を手放しました。
あの頃の僕は、人生がゲームオーバーになったような気がしていました。
つまり、この先にはもう何もない、と思い込んでいた、ということ。
大学の毎日も、余裕なんてありません。同じことを覚えるのに、人よりずっと時間がかかる。毎日が必死でした。
そして、外を歩くのが怖かった。
道の端がどこか、はっきり分からない。少しの段差。わずかな傾き。前から来る人の流れ。
外に出るたびに、どこか命がけのような気持ちで、こわごわと足を探りながら歩いていたあの毎日を、僕はどうにかして変えたかったんです。
理由は、単純でした。もっと安心して歩きたかった。だから、盲導犬と暮らそうと決めました。
……ただ正直、決めたあとのほうが不安でした。犬と暮らしたことなんて、一度もなかったので。
盲導犬の訓練センターで、僕はデネブに会いました。
おとなしくて、本当に可愛い子でした。吠えない。飛びつかない。そばにいると、ふっと肩の力が抜ける。
そして、すぐに気づきました。この子、とびきりのシャイだ。
「こっち見てよ」と顔を近づける。すると、ふいっ。もう一度のぞき込む。また、ふいっ。
何度やっても同じ。……そんなに嫌か。
気づいたら、僕はくすっと笑っていました。
不安が消えたわけではないけれど、その不安のとなりに、小さくてあたたかいものがちょこんと並んで座ってくれたような、そんな気がした最初の日でした。
盲導犬と暮らすには、人間のほうにも練習が要ります。これを「共同訓練」といいます。
正直に言います。最初、頼りなかったのは僕のほうでした。
デネブは訓練を積んだ犬。僕は、まったくのレベル1。
つまり、この組み合わせで初心者だったのは、犬ではなく僕だった、ということ。
ぎくしゃくして、ぎこちない。それでもデネブは、急かさず、隣でじっと待っていてくれました。
ハーネスを握る。その向こうに、デネブがいる。
「行こうか」と声をかける。デネブが、すっと歩き出す。その動きが、ハーネスから手にまっすぐ伝わってくる。
デネブが歩けば、僕も歩く。デネブが止まれば、僕も止まる。
段差の手前で、すっと止まる。「ああ、ここに段差があるんだな」。曲がり角で、ちゃんと待つ。「ここで曲がるんだな」。
僕の足元のその先を、デネブが見てくれている。
もちろん、最初からうまくはいきません。呼吸が合わずに、つんのめりそうになる。怖くて、足がすくむ。
でも、一歩、また一歩と進むうちに、二人のあいだにリズムのようなものが生まれて、まるでひとつの体になったみたいに道を進んでいく感覚が、少しずつ育っていきました。
それまでの僕は、ずっと思い込んでいました。人に頼るのは、弱さだ、と。
助けてもらうたびに、できなくなった自分を責めていた。
でも、デネブに身をあずけて歩く毎日が、その固い気持ちを少しずつほどいてくれました。
信じて、任せる。そうすると、自分だけでは行けない場所に、二人ならたどり着ける。
朝、ハーネスを着けると、デネブの空気がすっと変わります。
ゆるんだ感じが、きりっと引き締まる。「さあ、行こう」という顔になる。誇らしいくらい、立派な相棒でした。
……でも、ハーネスを外した家の中のデネブは、笑ってしまうくらい、おちゃめな子でした。
まず、ものすごい食いしん坊。
夕ご飯の1時間前になると、視線がすごい。「まだ?」「もう時間じゃない?」という圧のこもった目で、じーっと僕を見てくる。
まだ1時間も前です。
いつもは目を合わせると、すっと逸らすくせに。ご飯の前だけは、まっすぐ見てくる。シャイはどこへ行った。
現役の後半、8歳、9歳になると、さらにパワーアップしました。鼻を鳴らすようになったんです。
「ピー、ピー、ピー」
これがもう、ひどいくらいで。「はいはい、いまあげるから」と、僕はいつも笑っていました。
目が見えにくい僕には、視線の圧は、ぼんやりとしか伝わりません。でも、あの鼻の音だけは、はっきり届く。
見えにくくなって、人の表情も手を振る合図も届かなくなっていった僕にとって、あの「ピー、ピー、ピー」は、デネブが「お腹すいたよ」と話しかけてくれる、二人だけの合言葉のような声でした。
それから、ケージの中では、よく変な顔をしていました。
ゆるーい、間の抜けた顔。仕事中のきりっとした顔とのギャップがすごくて、見るたびに肩の力が抜けました。
シャイで、食いしん坊で、変な顔をする。並べると、なんだかおかしな子です。でも、これがデネブでした。
デネブとの思い出で、どうしても書きたい日があります。表彰台に、デネブと一緒に上がった日です。
トライアスロンを続けて、ガイドや仲間に支えられて、ある大会で表彰台に上がれることになりました。
その日、デネブも会場に来てくれていました。
ひとつ、知っておいてほしいことがあります。盲導犬は、走る犬ではありません。
泳ぐのも、こぐのも、走るのも、隣にいるのはガイドです。デネブが支えてくれたのは、競技の外側でした。
会場まで向かう道。出番を待つ時間。表彰式へ向かう通路。
そして、僕が表彰台に上がったとき。デネブは、その足元に、ちょこんと座ってくれました。
正直、その光景は、細かいところまでは見えていません。
でも、足元に伝わってくる、あたたかい気配。「ああ、デネブがすぐそこにいる」という確かな感覚。それだけで、胸がいっぱいになりました。
あんなにシャイで、人前では照れてばかりのデネブが、あの日だけは逃げ出しもせず、そわそわもせず、最後までちゃんと僕の晴れ舞台に付き合ってくれたんです。
派手なガッツポーズの記憶は、あまり残っていません。残っているのは、足元のデネブの気配だけ。
あの日、僕は知りました。喜びは、分け合う相手がいると、何倍にもふくらむ。
支えてくれたガイドや仲間がいて、足元にデネブがいた。だからあの表彰台は、僕の力だけでたどり着いた場所ではありませんでした。
大学時代に迎えてから、デネブは約8年、僕の隣にいてくれました。
授業に向かう朝も。勉強に追われる日も。うまくいかなくて、落ち込んで帰ってきた夜も。
朝、ハーネスを着けて「さあ、行こう」。夕方、ハーネスを外して、ご飯を待つ食いしん坊の顔に戻る。
その繰り返しが、僕の8年でした。
当たり前に続くと思っていた、何でもない毎日こそ、本当は奇跡みたいな時間だったんだということを、僕はずっとあとになって、デネブから教わることになります。
盲導犬には、いつか必ず引退の日が来ます。頭では、迎えた日から分かっていました。
そして、デネブの引退の日。その日は、2頭目の盲導犬シュクレと、初めて会う日でもありました。
別れと出会いが、同じ日に来たんです。
片方の手で、デネブとのお別れを抱きしめながら、もう片方の手で、新しい相棒を迎える。
正直に言うと、ものすごく寂しかった。8年ですから。当然です。
あの日、僕が言えたのは「ありがとう」という一言を、何度も何度も繰り返すことだけでした。
いま思えば、デネブが「次はこの子と頼むな」と、バトンを渡してくれたような気もします。
引退の日、僕はこう思い込んでいました。これで、デネブとはお別れなんだ、と。
……違いました。
引退したデネブは、いま、パピーウォーカーさんのもとで、おだやかに暮らしています。
パピーウォーカーさんは、盲導犬になる子犬を、だいたい1歳くらいまで、家族の一員として育ててくれる家庭のことです。
デネブは、赤ちゃんの頃に愛情をかけて育ててくれた、ふるさとの家族のもとへ帰っていったんです。
正直、別のお家に託すことには、迷いもありました。できることなら、ずっと一緒にいたかった。
でも、デネブにはこれから、自分のためのおだやかな時間が必要でした。僕には、シュクレとゼロから信頼をつくる毎日が待っていました。
だから、送り出しました。手放すためではなく、デネブがいちばんおだやかに過ごせる場所を、用意するために。
そして先日、僕はデネブに会いに行きました。そう、会いに行けるんです。
14歳。すっかり、おじいちゃんになっていました。
そばに寄って、背中に触れました。8年間、毎日のように触れていた、あの背中です。
少し、痩せていました。毛の感触も、記憶とはほんの少し違う。年を取ったんだな、と手のひらで分かりました。
それでも、手のひらにじんわり伝わってくる体温は、まぎれもなく、僕の知っているデネブのぬくもりでした。
「久しぶりだね」「元気にしてた?」「ちゃんと、ご飯、食べてるか?」
……最後の質問は、さすがに聞かなくてよかったかもしれません。あの食いしん坊に。
デネブが僕を覚えているかどうか、本当のところは分かりません。表情も、はっきりとは見えないから。
でも、隣に座っていると、ハーネス越しにひとつの体みたいに歩いた日々も、目を逸らされて笑った朝も、「ピー、ピー、ピー」に根負けした夕方も、ぜんぶ手のひらのぬくもりの中に、ちゃんと残っている気がしました。
デネブのいる場所は、僕にとってのセーブポイントです。
つまり、いつでも戻っていって、大事な時間を思い出せる場所、ということ。
あの日、「別れ」だと思っていたもの。それは、形が変わっただけでした。
毎日一緒に働く相棒から、ときどき会いに行く、大切な家族へ。
8年かけて積み上げた信頼とつながりだけは、何ひとつ変わっていませんでした。
そして、いま。僕の足元には、シュクレがいます。暮らして4年ほどになります。
シュクレとも、いつか必ず別れの日が来ます。正直、シュクレのいない朝なんて、想像もできません。
でも僕は、その日を見ないふりはしないと決めています。
終わりがあると分かっているからこそ、今日一緒に歩けることが、ただの毎日ではなくなる。デネブとの別れを知っている僕は、そのことをもう、頭ではなく体で知っています。
それに、引退は悲しいだけのものではありません。長いあいだ、立派に役目を果たしきった証。いわば、卒業です。
だから、いつかシュクレを送り出す日には、ただ泣くのではなく、「ありがとう、よくがんばったね」と笑って言える自分でいたい。
そのために、今日のふつうの一日を、ていねいに重ねていきます。
盲導犬と暮らすということは、出会ったその日から、いつか来る引退の日を受け入れるということでもあります。
別れの日は、想像以上に寂しいです。それは、隠さずに書いておきます。
でも、その寂しさを怖がって、相棒と歩く毎日をあきらめるのは、もったいない。
別れは、終わりではありませんでした。ちゃんと、感謝に変わりました。
もし今、あなたの隣に、当たり前のようにいてくれる存在がいるなら。家族でも、友だちでも、一緒に暮らす動物でもいいです。
今日、「ありがとう」と伝えてみてください。照れくさければ、心の中でもいい。でも、できれば声に出して。
別れの日に「ありがとう」を繰り返すことしかできなかった僕だから、これだけは言えます。言いそびれるより、会えるうちに伝えたほうが、ずっといい。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
その旅の最初の相棒は、目を逸らすのが得意で、「ピー、ピー、ピー」と鳴く、食いしん坊でした。
ありがとう、デネブ。また、会いに行くからね。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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デネブとシュクレと歩いてきた日々を、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人