もしあなたが、大きな挑戦を前に「全部自分でやらなきゃ」と思っているなら。
もしあなたが、本当に信頼できるパートナーって、どんな人だろうと考えたことがあるなら。
もしあなたが、目の見えにくい選手が226キロをどうやって進むのか、ふしぎに思ったことがあるなら。この記事は、あなたのためのものです。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
2024年9月15日、IRONMAN JAPANを完走しました。スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロ。合計226キロです。
タイムは13時間14分17秒。PCクラスで3位でした。
そのあいだ、ずっと隣にいたのが、ガイドの河原さんです。これは、その226キロと、河原さんという人の話です。
視覚障害のある選手には、ガイドがつきます。
そう聞くと、「見えない人を引っ張ってあげる人」を思いうかべる人が多いです。講演でこの話をすると、「えっ、違うんですか」とよく驚かれます。
違うんです。
ガイドは、僕と同じ方向を向いて、同じゴールを目指すパートナーです。
スイムでは、ロープ1本でつながって泳ぐ。バイクでは、二人乗りのタンデム自転車に、前と後ろで乗る。ランでは、1本のロープを握って、横に並んで走る。
3種目ぜんぶを、一緒にやりきる人です。
レースの最中、僕には路面のひび割れも、前を走る選手も、給水所も見えません。その全部を、河原さんが声にして届けてくれます。
「この先、右にカーブ」「あと少しで給水」「いいペースだよ」。
河原さんが見ている景色が声になって僕の中に入り、もう一度景色になるので、僕はガイドのことを「目になってくれる人」と呼んでいます。
だから、助ける側と、助けられる側じゃない。対等なチームです。
出発の朝。レースの2日前です。
約束は、朝8時。場所は、僕の家の前。
玄関の外で、人の気配がしました。時計を確かめると、まだ7時15分。
河原さんが、もう家の前にいました。45分前です。
「えっ、もう来てるんですか!」と声をかけたら、河原さんは涼しい顔で「余裕を持って準備しておきたかったので」。
……ちょっと、早すぎませんか。
レースはまだ始まってもいないのに、この時点で、僕のHPは満タンになりました。
つまり、走る前から「この人となら大丈夫」と安心できた、ということ。
空港に着いても、予定どおりにはいきませんでした。駐車場が、満車。入口で、1時間待ちました。
「飛行機、間に合わないかも」。僕は焦っていました。
河原さんは、落ち着いていました。「大丈夫、何とかなります」。
実際、何とかなりました。焦らない人が隣にいると、こっちの焦りまで小さくなります。
時間を守る人は、信頼される。時間より早く来てくれる人は、もっと信頼される。それは、相手を大事にしている何よりの証拠だからです。
約束より45分早く家の前に立っていてくれたあの姿が、226キロを一緒に進む人とはこういう人なんだと、僕の中にひとつの基準を刻んでくれました。
レース前日。試泳の日です。
試泳は、明日泳ぐ海に、前日のうちに一度入っておくこと。水の冷たさ、波のリズム、ガイドと結んだロープの張り具合を、体で確かめます。
僕は前が見えないので、コースを目で覚えられません。だから、体で下見をします。
ところが。海に入る準備を始めたとき、荷物の中に、あるはずのものがありませんでした。
トライスーツです。宿に、忘れてきました。
……大事な前日に、それ?
トライスーツは、スイムからランまで着たままで進む、薄い競技用のウェア。ウエットスーツは、本来その上から重ねるものです。
試泳の時間は決まっています。取りに戻ったら、海に入る時間そのものがなくなります。
河原さんに「トライスーツ、忘れちゃいました」と伝えました。結局、ウエットスーツの下に何も着けないまま、海に入りました。
僕は防具をひとつ、宿に置いてきたわけです。
つまり、いつも体を守ってくれていた一枚が、そこになかった、ということ。
生地一枚がないだけで、水の冷たさが、いつもよりずっと近くに来ました。
あって当たり前のものは、なくなって初めてその大きさが分かるのだと、僕は冷たい海の中で、生地一枚のありがたみを噛みしめていました。
でも、ないものを嘆いても、海は冷たいままです。
考えるのは、ひとつだけ。今あるもので、どう前に進むか。ウエットスーツはある。明日のコースを体に覚えさせることも、ちゃんとできる。
これは、目が見えにくくなってからの、僕の生き方そのものです。見えないなら、見えなくてもできる形にする。自分の力だけで無理なら、誰かと一緒にできる形にする。
僕はこれを「ノーパン試泳」と呼んでいます。河原さんは笑っていました。僕も笑いました。失敗を一緒に笑える。これも、信頼の形です。
レース当日。朝3時30分に起きました。外は、まだ真っ暗です。
朝ごはんは、赤飯。お祝いの食べ物です。「今日は、自分の挑戦を祝う日なんだ」と、体より先に心を整えます。
4時20分、ホテルを出ました。バスでスタート地点のそばへ向かいます。
バスの中は静かでした。目を閉じる人。音楽を聴く人。みんな、それぞれのやり方で集中していました。
そして、荷物を袋に詰めていたとき。ビリッ。
袋が、破けました。ウエットスーツ、タオル、補給食、着替え。無理に押し込んだら、裂けてしまったんです。
……前日はトライスーツ。当日は袋。
その場で、河原さんと一緒に、テープを巻いて補強しました。
こんなことで、ゲームオーバーにはなりません。
つまり、小さなトラブルがあっても、それで全部が終わるわけではない、ということ。
「念のため」のテープがあったから、なんとかなりました。
完璧な準備なんて僕には一度もできたことがないけれど、忘れ物をしても袋が破けても、念のための備えと隣にいる人があれば、ちゃんとスタートラインに立てるのです。
朝6時30分。スイムのスタートです。
僕と河原さんは、太ももにつけたロープでつながっています。
「行きましょう!」。河原さんの声。僕たちは海に入りました。
水は、思ったより冷たくありませんでした。左手、右手、呼吸。だんだんリズムが整っていきます。
河原さんの泳ぎが、ロープを通して伝わってきます。
「ペース大丈夫ですか?」「大丈夫です!」
周りでは、ほかの選手の水しぶきの音。抜いていく人がいて、抜かれる人がいる。
「焦らない。自分のペースで」。心の中で、くり返しました。
前が見えない水の中でも、ロープの向こうに河原さんがいると分かっているだけで、僕は迷わずに、手を前へ前へと伸ばし続けることができました。
1時間20分26秒。海から上がりました。
トランジションエリアでは、河原さんにウエットスーツを脱ぐのを手伝ってもらいました。トイレがなく、ウェアを着たまま済ませたのも、ここです。少しでもタイムを削るための、本番の現実です。
バイクは、タンデム自転車です。前に河原さん、後ろに僕。
ハンドルを握って、進む方向を決めるのは河原さん。僕の仕事は、後ろで全力でペダルを回すことです。
ゲームでいえば、コントローラーを持っているのは河原さんです。
つまり、どこへ進むかを決めるのは僕ではない、ということ。
下り坂のスピードも、カーブの角度も、僕には見えません。それでも怖くなかったのは、前に河原さんがいたからです。
この日は、風が弱めでした。「今日は風、弱いですね」「はい、助かります」。
ただ、周りにほかの選手が見えません。目安になる相手がいないと、ペースがかえって乱れます。
「焦らずに、自分のペースで」。河原さんの声で、我に返ります。
後半。後ろから、誰かが追いついてきました。
「秋葉さんじゃないですか?」
秋葉さんは、同じ視覚障害の選手です。僕と同じく、サブ11を目指している人。ライバルであり、同じ道を行く仲間です。
秋葉さんのタンデムが、僕たちを抜いていきました。……速い。
でも、ここで無理をしたらランで崩れると分かっていたから、追いかけたい気持ちをこらえて、僕は河原さんの選ぶラインを信じたまま、ペダルを回し続けました。
5時間47分24秒。180キロを走りきりました。
ランは、1本のロープの輪を、僕が右手、河原さんが左手で握って、横に並んで走ります。
走り始めて数キロ。右の股関節が、痛みだしました。
「河原さん、股関節が痛いです」「大丈夫ですか?」「……なんとか走れます」
痛みを我慢しながら、走り続けました。
30キロを過ぎると、体は限界に近づきました。足が重い。呼吸が荒い。
HPは、もう残りわずかです。
つまり、体も心も、いつ止まってもおかしくなかった、ということ。
「中澤さん、あと10キロですよ」「……はい」
「あと5キロですよ」「……はい」
河原さんの声が道しるべになり、握ったロープが支えになって、僕は「止まりたい」という自分の中の声よりも、すぐ隣の声のほうを信じて、足を前に出し続けました。
股関節の痛みを我慢したまま、42.195キロを走りきりました。5時間50分20秒です。
ゴールが見えました。
「河原さん、ゴール見えます!」「はい!行きましょう!」
最後の力をふりしぼりました。「やった!」。河原さんと、ハイタッチ。
13時間14分17秒。PCクラス3位。完走メダルの重さが、首に伝わってきました。
「河原さん、ありがとうございました」「いえいえ、こちらこそ。お疲れさまでした」。河原さんも、笑顔でした。
13時間14分17秒は、僕だけのタイムではありません。河原さんと二人で作った、僕たちのタイムです。
自分の目を、誰かに預ける。考えてみると、すごいことです。
タンデムの下り坂も、ロープ1本の海も、頼りは河原さんの声と判断です。もし声が一瞬でも途切れたら、大きな事故につながりかねません。
声を預けるとは、命を預けるということ。
少しでも疑っていたら、足はすくむし、ペダルは回せません。僕が226キロを全力で進めたのは、河原さんを1ミリも疑っていなかったからです。
この信頼は、1日ではできません。
出発の朝の45分、満車の駐車場で待った1時間、トライスーツのない海、破れた袋に巻いたテープ。移動や前日、本番の前後を一緒に過ごした時間が少しずつ積み上がって、226キロを任せ合える二人になっていきました。
昔の僕は、誰かに助けてもらうことが、情けなくて仕方ありませんでした。でも今は違います。助けてもらうことは、弱さじゃない。同じゴールを目指す、対等なチームの形です。
もうひとつ、大事にしていることがあります。
河原さんが僕の隣に立ってくれるとき、その河原さんを送り出してくれている人たちが、必ずいます。家族や、職場や、周りの人たち。
だから僕の感謝は、河原さんだけでなく、その後ろの輪ごと向けたいと思っています。
次の年も、河原さんは僕のガイドをしてくれました。目標のサブ11は、まだ先にあります。
大きな目標ほど、自分の力だけではたどり着けません。あなたの隣にも、きっと「河原さん」がいます。目になってくれる人。同じ方向を向いてくれる人。
その人をちゃんと見て、感謝を言葉にして、その人の後ろにいる人たちのことまで想像してみてください。
準備が完璧じゃなくても、大丈夫です。トライスーツを忘れても、袋が破けても、隣に信じられる人がいれば、人は前に進めます。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
2026年9月13日、IRONMAN JAPANを完走しました(14時間43分54秒・PCクラス2位)。この挑戦は、支えてくれる人たちと一緒に作る物語です。次の挑戦も、日々の練習やレースの様子を発信していくので、そばで見届けてもらえたら嬉しいです。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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25メートルも泳げなかった僕が、ガイドとロープでつながって226kmに挑むまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
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