「これ、使ってみてください」。病院で白い杖をわたされた日、僕は、それを受け取りたくありませんでした。
もしあなたが、新しい道具を前にして、「これを使ったら、もう元には戻れない」と感じているなら。
もしあなたが、まわりの目が気になって、最初の一歩が出せないでいるなら。
もしあなたが、これから白杖(はくじょう)を使いはじめるところなら。
この記事は、あなたに向けて書きます。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。27歳で緑内障と診断され、31歳で視覚障害者になりました。今は、視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。
今は盲導犬のシュクレと歩いていますが、白杖をはじめて持った日のことは、今でも覚えています。
今日は、白杖の基本の使い方と、使いはじめのはずかしさ・こわさとの付き合い方を書きます。使い方は、歩行訓練士さんに教わったことです。気持ちのほうは、僕がつまずいたことを、そのまま書きます。
白杖は、目の見えない人、見えにくい人が、安全に歩くための道具です。役目は、大きく2つあります。
種類も、いくつかあります。
僕が最初に持ったのは、折りたたみ式でした。
はじめて白杖を持った日の僕は、レベル1でした。
つまり、歩くという当たり前のことを、いちから覚え直すところに立っていた、ということです。
でも本当につらかったのは、歩き方が分からないことよりも、「これを持つということは、自分は障害者になったということだ」という思いが頭からはなれず、手の中の軽い杖がとても重く感じられたことでした。
ここからは、歩行訓練士さんに教わった基本です。正しいやり方は、必ず訓練士さんから直接教わってください。ここでは、ざっくりとした流れだけ書きます。
最初は、ぎこちなくて当たり前です。
僕も練習中、何度も杖をみぞに落としました。安全をたしかめる道具を、自分で落とす。……何をしているんでしょうね。
それでも、同じ動きを何日もくり返しているうちに、頭で「右、左」と考えなくても手と足が勝手に動くようになり、ある日ふと、杖の先から伝わってくる地面の感じに、自分が耳をすませていることに気づきます。
使いはじめの頃、僕がつまずいたことを3つ書きます。
「カツカツ」という音が、最初はとてもはずかしかったです。みんながふり返っているんじゃないか、と思いました。
でも、ある日気づきました。この音があるから、まわりの人が気づいてくれます。ぶつからずにすみます。音は、はずかしいものではなく、安全の合図でした。
最初は遠慮して、小さくふっていました。すると段差に気づけなくて、何度もつまずきました。
訓練士さんに言われたのは、「肩はばより広く、自分が通る道ぜんぶをたしかめる」ということです。遠慮は、あぶない。しっかりふります。
電車の中。レストラン。人ごみ。
白杖を持って人の多い場所へ出ることは、あの頃の僕にはラスボスでした。
つまり、いちばんこわくて、いちばんあと回しにしたかったこと、ということです。
でも、使わないとあぶない。使わないと、自分がこまります。
はずかしさが消えるのを待っていたらいつまでも外に出られなかったので、僕は、はずかしい気持ちを持ったまま、それでも「はずかしさより安全をえらぶ」と決めて杖を出し、その小さな決心が、あとから僕の生活を大きく変えていきました。
白杖は、いきなり街で使いはじめるものではありません。僕が通った順番を書きます。
自治体や、視覚障害者の支援センターで、歩行訓練を受けられます。訓練士さんが、白杖の使い方、歩き方、交通ルールを教えてくれます。最初は部屋の中で練習して、次に外へ出ます。
長さは、身長や歩き方に合わせます。地面から胸の高さくらいが、だいたいの目安です。僕は、訓練士さんや眼科の先生に相談してえらびました。
いきなり街の中は、こわいです。僕も最初は、家のまわりを何度も歩きました。
歩きなれた道は、セーブした場所のようなものです。
つまり、こわくなったら、いつでもそこへ戻ってやり直せる、ということです。
同じ道をくり返し歩いていると、「ここに電柱がある」「この音がしたら交差点」というふうに、目で見る地図のかわりになる記憶の地図が、頭の中に少しずつ、でもたしかに、できあがっていきます。
白杖で歩いていると、こまることもあります。でも、まわりの人のひとことで、とても助かります。
うれしいひとことは、たとえばこうです。
反対に、こまるのは、こんなときです。
前から、ゆっくり、声をかけてもらえると、とても安心します。
白杖を持った人を見かけて、「こまっていそうだな」と思ったら、うまく手伝えるかどうかは気にしなくていいので、ひとことだけ声をかけてもらえたら、そのひとことが、誰かの次の一歩を支えます。
白杖を使うようになって、僕の毎日は変わりました。3つあります。
白杖があると、「自分で歩いていける」という気持ちが、少しずつ出てきました。最初はコンビニまで。次は、駅まで。今は盲導犬のシュクレといっしょに、講演で全国を回っています。
白杖を持っていると、まわりの人が気づいてくれます。「お手伝いしましょうか?」と声をかけてもらえます。助けてもらうことは、弱さではなく、つながりなのだと思えるようになりました。
「見えない自分はダメだ」と、ずっと思っていました。
でも、道具を使えば、できることが増えます。工夫すれば、前に進めます。
受け取りたくなかったあの白い杖が、いつのまにか、「見えなくなったからといって、あきらめなくていいんだよ」と僕に教えてくれる、いちばん身近な先生になっていました。
もし今、あなたが白杖を使いはじめようとしているなら。「はずかしい」「こわい」と思っているなら。
最初の一歩は、こわくて当たり前です。僕もそうでした。
27歳で緑内障と診断されて、「明日も見えているだろうか」とおびえていた僕が、今はトライアスロンをしています。226キロのIRONMANを完走しました。
すごい人の話に聞こえたら、ごめんなさい。杖をみぞに落としていた人間の話です。
ここまで来られたのは、僕の力だけではありません。訓練士さん、声をかけてくれた街の人たち、家族、ガイド、そしてシュクレに支えられてきました。その最初の一歩が、白杖でした。
「できるか、できないか」ではなく、「どうやったら、できるか」。その工夫のひとつが白杖で、あの杖を持って家のまわりをおそるおそる歩いた日が、今の僕につながる道のいちばん最初にあります。
だから、あなたも大丈夫です。ゆっくりで、かまいません。家の近くの、いつもの道から、始めてみてください。
僕が視覚障害になってから今日までの道のりを、16分の動画にまとめています。文章より、声のほうが届く日もあると思うから。よかったら、そばに置いておいてください。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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緑内障の診断からIRONMAN完走までを、16分の動画にまとめました。