朝は、だいたいバタバタします。
あと5分早く出ればよかった。毎朝そう思うのに、次の朝もまた同じ。
そんな経験、ありませんか。
僕の朝は、少し違います。
バタバタすると、あぶないからです。
もしあなたが、「視覚障害のある人は、どうやって電車に乗っているんだろう」と気になったことがあるなら。
もしあなたが、盲導犬を連れた人を見かけて、「何をすればいいのか分からない」と思ったことがあるなら。
この記事は、あなたに向けて書いています。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、朝、僕とシュクレが家から待ち合わせの場所まで、電車で移動するときの段取りを書きます。
見えにくい目で、盲導犬と、朝のラッシュの電車に乗る。
こう書くと、よく「大変ですね」と言われます。
でも、僕にとってこれは「いつも通りの朝」です。特別な日でも、がんばる日でもありません。
少しだけ、僕の朝についてきてください。
段取りの前に、ひとつだけ先にお伝えします。
僕がシュクレと街を歩くときにやっていることは、ひとつです。
頭の中の地図を確かめながら、シュクレに次の指示を出していく。
これが、僕の動き方のすべてです。
外の景色を、目で確かめることはできません。
だから、頭の中に地図を持っています。何度も通った道を、記憶の中でなぞる感じです。
家のドアを開ける前から、自分がどこにいて、次にどっちへ動くのかが分かっています。
その地図をたどりながら、シュクレに次の一手を渡します。
たとえば、改札を通るときは「ゲート」と伝えます。
シュクレは、段差の手前で止まります。障害物をよけます。人ごみでは、抜けられる道をえらびます。
行き先を知っているのは僕で、足元を見ているのはシュクレという分担になっていて、僕の頭の中の地図とシュクレの足元の判断のどちらが欠けても、この移動は成り立ちません。
朝の準備で、いちばん大事にしているのは、余裕です。
シュクレと動くとき、僕は「ちょうどよく着く時間」をねらいません。
15分から30分、早く家を出ます。
理由は3つあります。
急ぐと、焦ります。
あわてて家を出た朝は、駅に着く前に、僕のHPが半分になります。
つまり、焦るだけで頭の中の地図が乱れて、シュクレへの指示まであいまいになる、ということです。
だから、僕にとっての余裕は、やさしさというよりも安全のためのものです。
序盤に飛ばして余裕をなくすと後半で必ずくずれるというのは、226キロのレースでも朝の電車でもまったく同じで、僕はこのことを、見えなくなってから体で覚えました。
頭の中の地図で、家から駅までの道をなぞります。そして、シュクレに方向を伝えます。
シュクレは、僕の左側を歩きます。
朝の街は、にぎやかです。
足早に歩く人。横をすり抜けていく自転車。信号待ちで固まっている人たち。
見えなくても、音と気配で、街が動き出しているのが分かります。
僕のコツは、ひとつです。
迷ったら、シュクレに任せる。
シュクレが止まったら、何かがある。シュクレが進んだら、進んでいい。
これだけ守れば、まず転びません。
……僕より、シュクレのほうがずっと頼りになります。
この信頼は、最初からあったわけではありません。
毎日一緒に歩いて、「シュクレが止まったところには、本当に段差や障害物があった」という経験をひとつずつ積み重ねてきた結果で、信頼は言葉ではなく足で作るものなのだと、シュクレが教えてくれました。
駅のホームに立ちます。
白杖で、点字ブロックを確かめます。足の裏と、白杖の先。この2つで、自分がホームのどのあたりにいるかをつかみます。
シュクレも、ホームの端では止まってくれます。二重の安全です。
アナウンスが流れます。
「まもなく、電車がまいります」
その声と、レールから伝わってくる振動で、電車が近づいているのが分かります。
そして、ここからが、朝のラスボスです。
つまり、朝の移動の中で、いちばん緊張する瞬間、ということです。
どの扉が、今、目の前で開いたのか分からない。
音はします。人は動き出します。
でも、自分の真ん前が扉なのか、車両と車両のつなぎ目なのか、確信が持てません。
そんなとき、誰かの声がすると、本当に助かります。
「こちらが扉ですよ」
手を引いてもらわなくても、そのたった一言があるだけで、宙ぶらりんだった僕の足は、安心して前に出ることができます。
電車に乗ります。
シュクレは、僕の足元で「フセ」をします。ゆれに合わせて、静かに姿勢を保ちます。
混んだ電車に乗ることも、盲導犬の訓練の中で、しっかり教わっています。
たまに、となりの人が話しかけてくれます。
「大きいワンちゃんですね」
でも、シュクレは反応しません。しっぽも振りません。
冷たい犬だな、と思わないでください。
シュクレは、仕事中です。僕の命をあずかっている最中です。
僕は「すみません、仕事中なので、さわらないであげてください」とお願いします。
でも、心の中は違います。
声をかけてくれたその人が、見えにくい僕とシュクレの存在にちゃんと気づいてくれたということが、それだけでうれしくて、朝の車内が、ほんの少しあたたかくなります。
乗りかえの駅に着きます。
駅にも、「歩きやすい駅」と「むずかしい駅」があります。僕は、それを体で覚えています。
シュクレに「ゲート」と伝えます。
シュクレは、エスカレーターをさけて階段へ向かったり、エレベーターを探したりして、導いてくれます。
駅員さんにお願いして、乗りかえのホームまで案内してもらうこともあります。本当にありがたいです。
ただ、毎回お願いするわけではありません。
シュクレと行ける道は、できるだけ自分たちで行きます。
行けた道は、セーブされるからです。
つまり、今日行けた道は、明日も行ける道になる、ということです。
人に頼るのは大事なことで、僕もたくさん頼っていますが、自分たちで行けた道の数だけ僕の世界は広がっていくので、その「行けた」を、毎日ひとつでも増やしたいと思っています。
乗りかえたあとの電車は、今日いちばん長い区間です。
座れたら、座ります。座れなかったら、立ったまま、シュクレが誰かに踏まれないように足の位置に気をくばります。
そのあいだ、僕はいろんな音を聞いています。誰かの小さなため息。子どもの声。ドアのチャイム。
目的の駅で改札を抜けると、少しだけ時間があまっています。
ここで、息をととのえます。シュクレの頭をなでて、「お疲れさま」と伝えます。
今日も、ふたりで「行けた」。
シュクレと電車に乗るようになって、4年がたちました。
出会った日は、1頭目のデネブが引退する日でもありました。別れと始まりが、同じ日でした。
この4年で、シュクレが教えてくれたことがあります。
これは、トライアスロンの進み方と、まったく同じです。
仕事中は何も言わないシュクレが、毎朝の小さな動きのひとつひとつで見せてくれることは、そのまま、226キロのレースで僕が大事にしていることと重なっています。
毎朝の電車で、僕は2種類の人に出会います。
気づかってくれる人と、そうでない人です。
盲導犬に直接話しかけてしまう人。「さわってもいい?」と聞く人。扉の前に立ったままの人。
でも、その人たちは、悪い人ではありません。知らないだけです。
立場が逆だったら、僕も同じことをしていたかもしれません。
だから、責めるためではなく、知ってもらうために書きます。
もし明日、白杖を持った人や、盲導犬を連れた人を見かけたら。
とつぜん体にふれられると、僕たちは驚いてしまいます。
でも、声なら安心です。
手を引かなくても、特別なことをしなくても、あなたの一言の声が、見えにくい僕たちにとってはいちばんの道しるべになります。
知らなかった朝は、ゲームオーバーではありません。
つまり、今日知ったことを、明日の電車でひとつ試してもらえれば、それで十分、ということです。
あなたの朝が、いい朝でありますように。
僕が視覚障害になってから今日までの道のりを、16分の動画にまとめています。文章より、声のほうが届く日もあると思うから。よかったら、そばに置いておいてください。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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デネブとシュクレと歩いてきた日々を、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、人生現役で挑み続ける