もしあなたが、「目が見えにくい人は、服をどうやって選ぶんだろう」と、ふと気になったことがあるなら。
もしあなたが、「頼る」と「自分でやる」のバランスに悩んでいるなら。
もしあなたが、いちばん近くにいる人に、ちゃんと「ありがとう」を言えているか、少し気になっているなら。
この記事は、あなたに向けて書いています。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、僕の毎朝の服選びの話です。
視覚障害B2の僕は、服の色が、ほとんど分かりません。
色がはっきり分からないと、上と下がちぐはぐになっていても、自分では気づけません。
ちぐはぐなまま、気づかずに堂々と人前に立つ。……それはそれで、なかなかの度胸がいります。
だから、服の組み合わせを「自分の目」だけで決めることは、できません。
当たり前のように見える「今日、何を着るか」が、僕にとっては、毎朝いちばん最初に向き合う、自分の目だけでは答えを出しきれない小さな問題なんです。
外に出る日の服は、妻が選んでくれます。
その日着るシャツ、パンツ、靴下。それぞれを選んで、出してくれる。
僕は、それを身につけるだけ。
……文字にすると、ほぼ着せかえ人形です。でも、本当にそうなんです。
今日はどこへ行くのか。講演なのか、練習なのか。天気や気温に合わせて、暑くないか寒くないかまで考えてくれます。
服の色や組み合わせを間違えたまま人前に出ても、見えない僕には、その間違いが自分では分かりません。
でも、整えてもらえるおかげで、その不安を抱えずに、堂々と人前に立てます。安心して外に出られる。ちゃんとした自分でいられる。その土台を、毎朝、静かに作ってもらっています。
「自分で選ぶ」を手放したぶん、朝のエネルギーを、練習や講演や原稿に回せるようになりました。
「自分で服を選べない」と思うと、悔しいかもしれません。でも僕は、逆だと思っています。
毎朝、選んでもらった服を着ることは、「今日もいってらっしゃい」というメッセージを受け取ってから家を出る、ということでもあって、僕の生活の中でいちばん温かい時間のひとつです。
一方で、練習に行くときの服は、適当に選びます。
泳ぐ。走る。バイクを漕ぐ。どれも汗をかく場面です。
清潔でさえあれば、組み合わせが多少ヘンでも気にしません。
……いや、多少じゃないときもあるかもしれません。見えていないので、確かめようがありません。
朝の練習着を選ぶことに、5分も10分も使えません。
練習着まで完璧にそろえようとすると、エネルギーがもちません。パラトライアスリートにとって、体力は限られています。
朝のHPを、服選びで減らしたくないんです。
つまり、限られた体力と気力を、着替えではなく練習のほうに残しておきたい、ということ。
「適当でいい場面」と「気を使う場面」をはっきり分けておくことは、気合いでがんばり続けるためではなく、長く続けるための、僕なりの1ミリの段取りです。
講演の日は、特に服に気を使います。聞いてくださる方の前に立つからです。
講演用の服は、前の日のうちに妻と一緒にセットします。
「このシャツとこのパンツ、おかしくない?」と最終チェックをしてもらう。クリーニングのタグの取り忘れがないかも、見てもらいます。
朝になって「あ、シャツがしわしわだった」とならないための、二重チェックです。
慣れない会場へ行く日は、妻が講演のガイドをしてくれることもあります。
人前に立つ日の服は、僕にとって、気持ちを整えるスイッチでもあります。
見えなくても、段取りで服を整えることはできます。それが、見えにくい世界の中でも自分を保つ、僕なりの方法です。
「見えないから、服は適当でいい」とは思いません。清潔な服装は、会う人への配慮であり、自分が「整っている」という気持ちで前に立つための、小さな誇りでもあるからです。
家の中の服の「場所」も、妻と一緒に決めています。
大事なのは、物の位置を勝手に動かさないこと。見えにくい人の暮らしの、基本のルールです。
位置が変わると、手を伸ばした先に、もう服はありません。ないものは、見えない僕には探しようがない。だから「決めた場所に戻す」は、二人の約束です。
決まった場所に戻すのは、ゲームでいうセーブのようなものです。
つまり、次に手を伸ばしたとき、迷わず同じところから始められる、ということ。
場所さえ決まっていれば、「どの引き出しを開けるか」だけで必要な服に手が届くし、探す時間がなくなるぶん、朝が少しだけ静かになります。
これは、見えている人にもそのまま使えます。
朝の5分が段取りで1分になれば、1年でざっと24時間ほど浮きます。気合いで選ぶより、段取りで選ぶほうが、毎日が楽になります。
正直に言うと、僕は昔、人に支えられるのが苦手でした。
見えにくくなって、できないことが増えていったころ。誰かの助けを借りるたびに、情けなさを感じていました。
「自分でやらなきゃ」「迷惑をかけたくない」。そう思うほど、心は苦しくなっていきました。
でも、トライアスロンでガイドとつながって走るようになって、そして妻と暮らすようになって、少しずつ変わりました。
レースの日、僕はガイドとロープでつながって進みます。自分だけでは進めない競技です。そこで覚えたのは、頼ることは負けではなく、チームを組むことだ、ということでした。
考えてみれば、目が見える人だって、自分だけで全部をこなしているわけではありません。誰もが、誰かに何かを助けてもらいながら生きています。
僕の場合は、それが少し目に見えやすい形で出ているだけなんです。
そう思えるようになってから、支えられることを恥じる気持ちが、すっと消えていきました。
頼ることは、弱さではなく、誰かと一緒に生きるための、1ミリの勇気なんだと、今は思っています。
服を選んでもらうことも、講演のガイドをしてもらうことも、僕が「弱いから」ではありません。
二人で、ひとつの毎日を作っているからです。
それでも、支えてもらうばかりでは、いい関係は長く続かないとも思っています。
だから僕も、相手にとっての何かでありたい。
話をじっくり聞くこと。落ち込んでいるときに、そばにいること。挑み続ける姿を見せること。
僕にできることは限られています。目が見えにくいぶん、できないことも多い。でも、僕なりの支え方は、きっとあるはずです。
完璧にはできないかもしれません。それでも、支え合う気持ちだけは、いつも持っていたい。……と書きながら、今日もたぶん、受け取るほうが多いんですけどね。
支え合うというのは、どちらか片方だけががんばることではなく、二人で同じ方向を向いて、それぞれにできることを持ち寄ることなんだと、一緒に暮らしてみて分かりました。
最後に、あなたに伝えたいことがあります。
いちばん近くにいる人ほど、その存在が「当たり前」になりがちです。
毎日そばにいてくれるから、支えてもらっていることに、気づきにくくなる。
でもその人は、自分の時間や生活の一部を、あなたのために使ってくれています。それは、決して当たり前のことではありません。
もしあなたのそばに、いつも支えてくれる人がいるなら、今日、小さな声でいいので「いつもありがとう」と伝えてみてください。
大げさな言葉じゃなくていいんです。「いつも助かってる」。それくらいで十分です。
照れくさいですよね。僕も、なかなか素直に言えないときがあります。それでも、ふとした瞬間に伝えるようにしています。
それでも、感謝は心の中に置いておくだけでは相手に届かなくて、言葉にして初めて、二人のあいだを少しだけ温めてくれるものだと思います。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
頼るのが苦手なあなたも、きっと大丈夫です。受け取ることから、支え合いは始まります。
「視覚障害B2の生活の知恵」「段取りで生きる」「1ミリの行動」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人
僕が視覚障害になってから今日までの道のりを、16分の動画にまとめています。文章より、声のほうが届く日もあると思うから。よかったら、そばに置いておいてください。
中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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