「パラアスリートはたくさんいるのに、どうして中澤さんなんですか」。もし聞かれたら、僕はうまく答えられる自信がありませんでした。
もしあなたが、講演会やイベントに誰を呼ぶかで迷っているなら。
もしあなたが、誰かを応援したいけれど、その理由をうまく言葉にできないでいるなら。
もしあなたが、「自分には特別なものが何もない」と感じているなら。
この記事は、あなたに向けて書きます。
はじめまして。中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。
2017年から講演を続けていて、ここ3〜4年は年に50回前後、学校や企業や自治体で話しています。
今日は、僕の特徴を7つ、自分の言葉で書きます。自分で自分の特徴を書くのは、かなりはずかしいです。でも、背のびも、へりくだりもせずに書きます。呼ぶかどうかを、あなたが自分で決められるように。
多くのパラアスリートにとって、パラリンピックのメダルは大きなゴールです。僕も同じ競技者として、心から尊敬しています。
いっぽう、僕が向き合っているのはIRONMANです。スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロ。合わせて226キロ。これは、パラリンピックの種目ではありません。
だから、メダルという区切りがありません。あるのは、「挑み続ける」という、長い1本の道です。
僕の合言葉は、2つあります。
「ピンチはチャンス、カギは工夫」
「めんどくさいと思うときは、まず1ミリの行動」
この2つは頭で考えて作ったきれいな言葉ではなく、27歳で緑内障と診断され、見える世界が少しずつせまくなり、13年つとめた会社の居場所が静かに終わっていった、その全部を通りぬけたあとに、僕の体に残っていた言葉です。
トライアスロンを始めた頃の僕は、レベル1でした。
つまり、25メートルも泳げず、1キロ走るだけで膝が痛くなる体だった、ということです。
そんな人間が、見えにくい体で226キロに挑み続けています。「結果」より「挑戦そのもの」を伝えたい学校や企業の方に、この話は使ってもらいやすいと思います。
それまでは、ふつうに見えていました。電気工事の現場監督として、図面を見て、現場を回っていました。
最初の変化は、天井の照明のまわりが虹色に見えたことです。病院で「緑内障です」と言われたときの感想は、「へ〜、そんな病気があるんだ」でした。軽すぎます。
本当にこわくなったのは、自分でパソコンで調べて、「一度失った視野は、二度と戻らない」と知った夜です。
昨日まで当たり前だったものが、今日は当たり前ではなくなるという感じを、あとから見えにくくなった本人の言葉で話せるので、見えている方も「自分にも起こるかもしれないこと」として聞いてくださいます。
目が悪くなるにつれて、仕事は少しずつへっていきました。図面を見るのが仕事なのに、その図面が見えません。現場から内勤に移っても、1回ですんでいた確認が、2回、3回と増えました。
そして31歳のとき、「このまま続けるのは難しいよね」と言われました。事実上の退職です。
あのとき僕は、ゲームオーバーだと思いました。
つまり、18歳から13年いた自分の居場所がなくなって、この先の道が何も見えなくなった、ということです。
「障害のある社員が働き続けられる職場とは何か」を、制度の説明としてではなく、仕事が少しずつへっていく側にいた人間の、悔しくて誰にも言えなかった気持ちとして話せることが、企業の研修でお役に立てるところだと思っています。
退職のあと、相談していた方に「大学、行ってみたら?」と言われました。
僕は、勉強も運動も苦手でした。通知表は、ほとんどが1か2です。その僕が、30代で人生初の大学受験をして、鍼灸(しんきゅう)を学ぶ大学に入りました。単位を1つ落とせば留年、という毎日でした。
国家試験は、はり師・きゅう師は不合格。あん摩マッサージ指圧師には合格しました。全部は受かっていません。そこも正直に書いておきます。
今は、ある企業にアスリート雇用で所属しながら、競技と講演を続けています。「障害がありながら働く社員」の目と、「挑戦を続ける競技者」の目。その両方を持っています。
僕のパートナーは、ラブラドール・レトリバーのシュクレです。名前は、フランス語で「砂糖」という意味です。
シュクレは、2頭目の盲導犬です。はじめて会ったのは、1頭目のデネブが引退する日でした。別れと出会いが、同じ日に重なりました。
訓練士さんからは、「ちょっと繊細な子です」と紹介されました。ところが初日から、おなかを見せて寝ころがっています。どこが繊細なんだ、と心の中で笑いました。
シュクレが会場にいると、子どもたちの声が明るくなり、大人の方も、盲導犬は「道具」ではなく毎日をいっしょに歩くパートナーなのだということを、僕の説明を聞くより先に、足元で静かに待つ姿から感じ取ってくださいます。
僕の目標は、IRONMANで11時間を切ることです。視覚障害B2クラスのギネス世界記録への挑戦です。
記録を正直に書きます。2024年は13時間14分17秒でPCクラス3位。2025年は15時間8分45秒。2026年は14時間43分54秒でPCクラス2位でした。
11時間までは、まだ大きな差があります。……大きな差、と書いて、自分で少し笑ってしまいました。
それでも、届いても、まだ途中でも、来年もその先もくつひもを結んで動き続けることそのものが僕の物語なので、応援してくださる方とは、1回きりの結果ではなく、長い道のりをいっしょに歩く関係になれます。70歳になっても、まだ何かに挑んでいたいです。
IRONMANを完走できたのは、僕の力だけではありません。ガイド、コーチ、トレーナー、家族、所属先、応援してくれる方、そしてシュクレに支えられています。
始めた頃の僕は、「助けてもらう側」になることが、情けなくてしかたありませんでした。
でも、ロープ1本でガイドとつながり、2人乗りの自転車で前とうしろの役目を分け合ううちに、ガイドは「助けてくれる人」ではなく、同じゴールを目指す対等なチームなのだと気づきました。
だから、応援してくださる方にも、「物語の登場人物のひとり」になってもらいたいと思っています。
先日、ある中学校で話しました。生徒さんからは、「好きなアニメは?」「見えない中での工夫は?」という質問が来ました。先生方からは、「シュクレとの出会いは?」「障害のある人に出会ったら、どうすればいいですか」という質問が多くありました。
同じ話を聞いても、子どもと大人ではひびく場所がちがうので、僕は「挑戦」「障害理解」「盲導犬と歩む人生」「工夫が速さになる」などのテーマを、聞いてくださる方に合わせて、毎回組み直しています。
もしあなたが、僕の挑戦を「応援したい」と思ってくださっているなら、本当にありがとうございます。
応援の形は、いろいろあります。
記事をひとつ読んでくださること、誰かに「こんな人がいるよ」と話してくださること、そのひとつひとつが、朝早く起きて動き出す僕の背中を、見えないところからたしかに押してくれています。
視覚障害B2、IRONMAN完走、年50回前後の講演。こうしてならべると、特別な人に見えるかもしれません。本当は、まったくちがいます。
運動会の徒競走は、ビリか、ビリから2番目でした。好きな子に気持ちを伝える勇気もなく、「どうせ相手にされない」と決めつけて逃げる子どもでした。
今の僕がやっているのも、とても地味なことです。毎朝「めんどくさい」と思いながら、くつ下をはいて、玄関まで行って、まず5分だけ動く。それを重ねてきただけです。
7つも特徴を書いておいて、最後がくつ下の話で、すみません。
でも、テレビで全盲の女の子がトライアスロンをしているのを見て、「僕はまだ見えている。だったら、僕にもできるかもしれない」と、ほんの少し体を動かしてみたあの日の1ミリが、今日までずっと続いているだけなのです。
挑戦するのに、特別である必要はありません。必要なのは、最初の1ミリの行動だけです。
もしあなたが今、何かに挑んでいる途中なら。僕は、つながる輪の中で、心から応援しています。
「中途失明」「挑戦」「不安があっても前に進む力」をテーマに、2017年から講演を続け、ここ3〜4年は年間50回前後で登壇しています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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25メートルも泳げなかった僕が、ガイドとロープでつながって226kmに挑むまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
▶ IRONMANシリーズを第1話から見る(YouTube)
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、人生現役で挑み続ける