← 記事一覧に戻る
📅 2026.08.26(更新 2026.10.10) | RYU NAKAZAWA
🌱 視覚障害

視覚障害は、真っ暗じゃない|B2の僕の見え方を、言葉にしてみる

⏱ 約7分で読めます(4,238字)

もしあなたが、「視覚障害」と聞いて、真っ暗な世界を思い浮かべているなら。

もしあなたが、白杖を持つ人や盲導犬を連れた人を見て、どう接していいか戸惑ったことがあるなら。

もしあなたが、自分や家族の見え方が変わってきて、不安を感じているなら。

この記事は、あなたのためのものです。

僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害のB2というクラスで、パラトライアスロンをしています。盲導犬のシュクレと暮らしています。

講演でよく聞かれます。「B2って、どういうこと?」「実際、どんなふうに見えているの?」

今日は、その答えを、僕が知っている範囲で、正直に言葉にしてみます。

📖 この記事の目次
  1. 「視覚障害=真っ暗」は、よくある誤解
  2. B2というクラス
  3. 視野が狭い。細かい字が見えにくい。そして、霞む
  4. 27歳、照明の周りが虹色に見えた日
  5. 見え方は、人それぞれ。日によっても変わる
  6. 「見えるなら大丈夫でしょ」が、つらいこともある
  7. 街で会ったら、「何かお手伝いしましょうか」
  8. 見え方が変わっても、世界は閉じない

「視覚障害=真っ暗」は、よくある誤解

講演に行くと、本当によく感じることがあります。

多くの人が、「視覚障害の人は、何も見えない、真っ暗な世界にいる」と思っているのです。

悪気は、まったくありません。テレビや映画に出てくる視覚障害者は、たいてい全盲です。目隠しをして「見えない体験」をするワークショップも多い。だから、そう思うのは自然なことです。

見えない体験は、知るきっかけとして、とても良いものだと思います。

ただ、ひとつだけ。目隠しの体験は「全盲の世界」の一部であって、視覚障害のすべてではありません。

視覚障害のある人の多くは、何かしら見えています。まったく見えない人も、もちろんいます。でも、それは視覚障害者の一部です。

視覚障害は真っ黒一色ではなく、薄いグレーから濃いグレーまで、数えきれないくらいの濃さがあって、僕はそのグラデーションのどこかに立っている、ということなのです。


B2というクラス

「B2」は、パラスポーツで使われる、視覚障害のクラス分けのひとつです。

見え方の違う選手が同じ条件で競ったら、公平になりません。だから、見え方の程度で、いくつかのクラスに分けられています。

ほとんど見えない人から、ある程度見える人まで、段階があります。B2は、その中間あたり。全盲ではなく、見えにくさがある。一部は見えているけれど、細かいものははっきりしない。それが、僕のクラスです。

記号で言うと、ちょっと味気ないですね。でも、その記号の向こうには、それぞれ違う見え方の毎日があります。

クラスがいくつもあること自体が、見え方に幅があることの証拠で、スポーツのルールそのものが、見え方はみんな違うということを、ちゃんと前提にしているのです。


視野が狭い。細かい字が見えにくい。そして、霞む

では、僕の見え方です。

まず、見える範囲、つまり視野が狭いことです。

31歳の頃には、右目は5円玉の穴から覗いているような感じで、中心しか見えなくなっていました。左目は、目の前のグー・チョキ・パーがなんとか分かるくらいでした。

次に、細かい字が見えにくいことです。新聞の小さな文字。薬の説明書のびっしりした字。書類の細かい注意書き。もう、ほとんど読めません。

前の仕事は、電気工事の現場監督でした。図面を見るのが仕事なのに、その細かい線や数字が見えなくなっていく。1回で済んでいた確認が、2回、3回と増えていく。「早くしなきゃ」と思うほど、手が止まる。

「昨日できたことが、今日できない」。見えにくさは、ある日突然すべてが消えるのではなく、じわじわと、できることを減らしていきます。その静かな進み方が、いちばんこたえました。

もうひとつの言葉が、「霞む」です。

視界全体が、すりガラス越しに見ているように、ぼんやりしています。たとえるなら、お風呂上がりの曇った鏡。あるいは、湯気の向こう。色や大きなかたち、明るさ、ぼんやりした輪郭は分かります。でも、細かいところがにじむ。

だから、人の顔もくっきりとは見えていません。講演の最初に、僕は必ずこうお願いします。「みなさんの表情が、僕にはわかりません。だから、うなずきや拍手や声で、反応を教えてください」

細かい字は、いまはスマホの読み上げに読んでもらったり、画面を大きくしたり、カメラを使ったり、人に聞いたりして、読めない文字を耳で読むという工夫で、毎日を回しています。


27歳、照明の周りが虹色に見えた日

どうしても書いておきたい日があります。最初の異変が起きた日です。

27歳のある日、天井の照明の周りが、虹色に見えました。光の周りに、ふわっと虹の輪っかがかかっているような。目の痛みや、霞み、頭痛もありました。

「なんだろう、これ」と病院に行ったら、緑内障と言われました。

正直、そのときは「へ〜、そんな病気があるんだ〜」と、軽く考えていました。……のんきすぎます、当時の僕。

あの虹色の日が、僕の人生のスタート画面でした。

つまり、見え方が少しずつ変わっていく道のりが、あの日から始まった、ということです。

だから僕は、「ずっと見えなかった」のではありません。「見えていたものが、だんだん見えにくくなっていった」のです。生まれつきの人もいれば、僕のように途中からの人もいます。

27歳まではごく普通に見えていた僕のように、見え方は病気やけがや年齢で誰にでも変わりうるので、見えにくさのことは、決して遠い世界の話ではないのです。


見え方は、人それぞれ。日によっても変わる

いちばん伝えたいのは、ここです。見えにくさは、人それぞれです。

これでも、まだ全部ではありません。同じB2でも、原因や進み方が違えば、見え方も違います。僕の「霞む」と、別の人の「霞む」も、きっと違う。たとえは、あくまでたとえです。

それに、同じ人でも、いつも同じとは限りません。明るい場所と暗い場所で変わる。体調や疲れでも変わる。「この前はこれが見えていたのに」と思っても、状況が変われば、見え方も変わります。

見えにくさは、決まった一枚の写真ではなく、その日の明るさや体のぐあいで移り変わっていくものなので、「視覚障害の人はこう見えている」と、ひとくくりにはできないのです。


「見えるなら大丈夫でしょ」が、つらいこともある

一部見えている、というのは、ときに難しさも生みます。

「見えてるなら、大丈夫だよね」と思われてしまうのです。たしかに、何かは見えています。でも、細かい字は読めないし、霞んでいるし、できないことはたくさんある。

外からは元気そうに見えても、実はHPがけっこう減っている。

つまり、見た目では分からなくても、中では困っている、ということです。

かといって「見えない」と言えば、今度は「全部見えないんですね」と思われる。どちらを言っても、本当の自分とはちょっと違う。このもどかしさは、見えにくさのある多くの人が感じていることだと思います。

たとえば、白杖を持っているのに、スマホを見ている人。「なんだ、見えてるじゃないか」と思われがちです。でも、これは矛盾でも何でもありません。画面を大きくしたり、読み上げてもらったりすれば、見えにくくても使える。見える部分を、精いっぱい使って暮らしているのです。

道具がなければ、見えにくさは外から分かりにくい。僕も、白杖を持っていたり、シュクレと一緒だったりするから、「目が不自由なのかな」と分かってもらえます。

だから僕は、「細かい字は見えにくいけれど、大きなものは見えます」「表情はわからないので、声で教えてください」と、自分の見え方を具体的に言葉にして、相手に接し方を知ってもらうようにしています。


街で会ったら、「何かお手伝いしましょうか」

見えにくさのある人と街で出会ったら、どうすればいいか。よく聞かれるので、僕なりの答えを書きます。

いちばんは、まず声をかけてもらうことです。「何かお手伝いしましょうか」のひとことで十分です。

必要なければ「大丈夫です、ありがとう」と返すだけ。助けが要るときは、具体的にお願いできます。立派なサポートをしようと、気負わなくて大丈夫です。

「見えてるみたいだから、声をかけないほうがいいかな」と遠慮しなくていい。見えているように見えても、困っていることはあります。迷ったら、声をかけてください。断られても、気を悪くしないでくださいね。その気持ちが、もう十分うれしいのです。

手助けすることになったら、ひとつだけ。「どうしてほしいか」を本人に聞いてください。腕を貸してほしい人もいれば、言葉で道を教えてほしい人もいます。

よかれと思って急に体を引っ張るのではなく、「どうしましょうか」とひと声かけてもらえるととても助かるのは、見えにくさが人それぞれで、何が助かるかも人それぞれだからです。

「どんなふうに見えているんですか?」と聞くのも、失礼ではありません。その人の世界を知ろうとしてくれる、うれしいひとことです。


見え方が変わっても、世界は閉じない

見え方が変わっていく途中には、怖さもありました。

夜になるのが怖かった時期があります。眠って朝起きたら、もっと見えなくなっていたらどうしよう、と。一度狭くなった視野は戻らない。そう知ったときは、本当にこたえました。

でも、その怖さの中にいた僕を外に連れ出してくれたのは、スポーツと、人とのつながりでした。見えにくくなってから、僕はトライアスロンに出会い、たくさんの仲間に支えられて、IRONMANに挑み続けています。シュクレという相棒もできました。

見え方が変わることは、ゲームオーバーではありません。

つまり、そこで全部が終わるわけではなく、別の景色がそこから始まる、ということです。

見え方そのものは変えられなくても、その見え方とどう向き合って生きるかは自分で選べるのだと、僕は霞んだ視界の中で、少しずつ自分なりの歩き方を見つけてきました。

講演で子どもたちにこの話をすると、みんな本当に素直に受け取ってくれます。「ちょっと見える人もいるんだ」と知った子は、大人になっても、見えにくさのある人に自然に向き合えるはずです。

もしあなた自身が、いま見え方の変化に不安を感じているなら、これだけは伝えたいです。見え方が変わっても、あなたという人は変わりません。怖さは、あって当たり前です。一歩ずつ、一緒に進んでいきましょう。

見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。

見える、見えない。その間には、たくさんのグラデーションがあります。そのどこかに、僕はいます。


💬コメント

🎤 講演のご依頼・お問い合わせ

「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。

📧 つなひろワールドへお問い合わせ

最後まで読んでくれて、ありがとうございます

中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。

📷 Instagramをフォロー ▶️ YouTubeを見る

新しい記事が出たら、メールでお知らせします。すぐ下のフォームから登録できます ↓

動画でも見られます:緑内障シリーズ

緑内障がわかった日から、見えなくなっていく中で挑み続けるまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。

▶ 緑内障シリーズを第1話から見る(YouTube)

RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人