朝、会社に行くのが、苦じゃなかった。18歳のとき、僕は生まれて初めて、そう思いました。
もしあなたが、新しい場所で、まだ自分の席を見つけられずにいるなら。
もしあなたが、「ここに、自分がいてもいいのかな」と思っているなら。
もしあなたが、心から「ここが居場所だ」と思えたことが、まだ一度もないなら。
この記事は、あなたに向けて書きました。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害B2クラスのパラトライアスリートで、盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、18歳の話をします。何者でもなかった僕に、初めて居場所ができた話です。
高校を卒業して、僕は電気工事の現場監督の会社に就職しました。18歳でした。
学生時代の僕は、運動も勉強も、得意なほうではありませんでした。
人よりうまくできたことも、あまりない。目立たない、自信のない子どもでした。
失敗するのがこわくて、やる前に逃げてしまうところもありました。
そんな僕が、大人ばかりの世界に入ったわけです。
ちゃんとやっていけるのか。受け入れてもらえるのか。期待より、不安のほうが大きかったのを覚えています。
社会人としての僕は、完全にレベル1でした。
つまり、何も知らないし、何もできない状態だった、ということです。
現場には、年上の職人さんたちがいました。専門の言葉が飛び交っていました。覚えることは、山のようにありました。
……何を言っているのか、ほとんど分かりませんでした。
最初のうちは、自分が何の役にも立っていない気がして、ただそこに立っているだけで申し訳ないような、居心地の悪さがずっとありました。
「自分なんかが、ここにいていいんだろうか」
心のすみで、いつもそう思っていました。
でも、その会社には、心強い人たちがいました。
同じ高校を出た先輩が、3人いたんです。
同じ高校。たったそれだけのことです。
でも、それだけで、まったくの他人とは、距離の縮まり方が違いました。
共通の話題がある。同じ景色を知っている。
だから、最初から少しだけ、打ち解けられました。
その3人が、新入りの僕を、よく気にかけてくれました。
右も左も分からない場所で、周りのすべてが知らないものだらけだったとき、たったひとつの共通点が、暗い海に浮かぶ灯りのように見えて、僕はその灯りのほうへ、少しずつ寄っていきました。
人は、ほんの小さな共通点から、心を開いていけるのだと思います。
3人の先輩は、僕を本当にかわいがってくれました。
仕事を、一から教えてくれる。
分からないことを聞けば、面倒がらずに答えてくれる。
ときには厳しく、ときには優しく。
仕事の合間に声をかけてくれて、僕がぽつんとしないように、輪の中に入れてくれました。
失敗したときも、そうでした。
それまでの僕は、失敗はゲームオーバーだと思っていました。
つまり、一度まちがえたら、もうそこで終わりだと思っていた、ということです。
でも、先輩たちは、ただ叱るだけではありませんでした。「次はこうすればいいよ」と、その先を教えてくれました。
終わりませんでした。続きがありました。
うまくできたときには、ちゃんと見ていて、声をかけてくれました。
……見られていたのか、と思いました。うれしいような、照れくさいような。
先輩たちがかけてくれる言葉や気づかいのひとつひとつは、口に出しては言わないけれど「お前は、ここにいていいんだぞ」と伝えてくれているようで、不安でいっぱいだった18歳の僕の心を、少しずつ、ほどいていきました。
そして、あるとき、僕は生まれて初めての感覚を持ちました。
「自分の居場所が、できた」
それまでの僕は、どこにいても、「ここが自分の場所だ」と思いきれずにいました。
学生時代もそうです。いつも少しだけ、自分の場所を探しているような感じでした。
それが、この会社で変わりました。
朝、出勤するのが、苦じゃない。
あの輪の中に、自分の席がある。
自分を待っていてくれる人がいる。
それまでの人生で、味わったことのない安心でした。
居場所は、立派な肩書きや、すごい実績から生まれるものではありませんでした。
仕事ができるから、いていいのではない。
気にかけてくれる人がいる。ただ、それだけのことでした。
まだ何者でもなかった18歳の僕を、何者でもないまま、そのまま受け入れてくれた3人の先輩たちに、僕は今でも、心から感謝しています。
居場所ができると、人は変わります。僕も、変わっていきました。
学生時代の僕は、挑戦する前に「どうせ自分には無理だ」と決めつけて、逃げてしまう子どもでした。
僕の得意技は、ずっと「にげる」でした。
つまり、失敗する前に、自分からやめていた、ということです。
……得意技と呼んでいいのかは、分かりません。
でも、この会社では、少しずつ違ってきました。
多少つまずいても、見放されない。
「失敗しても、ここなら大丈夫」
そう思えると、不思議と、挑戦がこわくなくなっていきました。
新しい仕事を任されたとき、昔の僕なら尻込みしていたはずです。
でも、後ろに先輩たちがいてくれると思うと、前に足が出ました。
挑戦する力というのは、歯を食いしばる強さから出てくるのではなく、「失敗しても、ここに戻ってこられる」という安心の上に、少しずつ育っていくものなのだと、僕はあの会社で教わりました。
僕は、この会社に13年勤めました。
先輩たちにかわいがってもらう日々から始まって、たくさんのことを覚えました。現場を任されるようにもなりました。
社会人としての僕の土台は、全部、この会社で作られました。
そのあと僕は、目の病気が進んで、この大切な場所を手放すことになります。
本当に、悔しい別れでした。
でも、こう思うんです。
失って悔しいということは、それだけ大切な場所だった、ということです。
そして、先輩たちがくれた温かさは、場所を離れても、僕の中から消えませんでした。
視覚障害になってトライアスロンを始めたとき、僕は最初、「助けてもらう側」になるのが、情けなくて仕方ありませんでした。
でも、ガイドさんと一緒に進むうちに、それは対等なチームなのだと分かっていきました。
その変化を受け入れられたのは、心のどこかに「人に支えられる温かさ」の記憶があったからだと思います。
18歳のときに先輩たちにかわいがってもらった経験が、ずっとあとになって、まったく違う場面で僕を助けてくれたのですから、人の温かさというのは、ずいぶん先まで効くものです。
今の僕は、ガイドさんやたくさんの仲間に支えられながら、競技を続けています。「支えてくれる人がいるから、挑み続けられる」。その最初のお手本は、まちがいなく、あの会社にありました。
もし今、あなたが新しい場所で、心細い思いをしているなら。
あの頃の18歳の僕の隣に座るつもりで、書きます。
居場所は、いきなり完成した形では現れません。
僕も、入った初日から「ここが居場所だ」と思えたわけではありませんでした。
同じ高校、という小さな共通点から始まりました。かわいがってもらう日を重ねるうちに、少しずつ「自分の場所だ」と思えるようになりました。
だから、今すぐ見つからなくても、焦らなくて大丈夫です。
もし周りに、ほんの小さな共通点のある人がいたら、その人を大切にしてみてください。
同じ場所から来た。同じものが好き。同じことで笑える。
それが、居場所の入口になるかもしれません。
そして、もうひとつ。
あなたが「ここにいていい」と思えたら、今度はあなたが、誰かの先輩になれます。
不安そうにしている新しい人に、ほんの少し声をかける。それだけです。
3人の先輩が18歳の僕にしてくれたように、受け取った温かさを次の人へ手渡していけば、居場所は人から人へと、つながっていくのだと思います。
僕に居場所をくれたのは、僕ひとりの力ではありませんでした。かわいがってくれた先輩たちでした。
あなたにも、「ここにいていい」と思える場所が、きっと見つかります。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
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RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人