もしあなたが、昨日まで当たり前にできたことが、急にできなくなって戸惑っているなら。
もしあなたが、職場で「見えにくい」「追いつけない」を言い出せないまま働いているなら。
もしあなたのそばに、そういう同僚や部下がいるなら。この記事は、あなたに向けて書きました。
僕は中澤隆(なかざわ りゅう)です。視覚障害B2クラスのパラトライアスリートで、盲導犬のシュクレと暮らしています。
今日は、トライアスロンの話ではありません。現場監督だった僕が、図面を見られなくなっていった頃の話です。
正直、あまり格好のいい話ではありません。でも、いま同じ場所にいる人がいるはずなので、隠さずに書きます。
18歳で、電気工事の現場監督になりました。施工管理という仕事です。
学生時代の僕は、勉強も運動も得意ではありませんでした。「どうせ自分なんて」が口グセでした。
そんな僕を、職場の先輩たちがかわいがってくれました。
現場を任される。図面を読む。段取りを組む。
その会社は、僕の人生で初めてのセーブポイントでした。
つまり、「ここに戻ってくれば大丈夫」と思える場所が、生まれて初めてできた、ということ。
図面には、細かい字と記号がびっしり並んでいます。どこに何を通すか。どんな順番で進めるか。小さな数字ひとつが、現場の安全を左右します。
だから、図面を正確に読む目は、この仕事でいちばん大切な道具でした。
このまま、ずっとここで働いていくんだろうなと、当時の僕は何の疑いもなく思っていて、その道具が少しずつ奪われていく日が来るなんて、考えたこともありませんでした。
27歳のとき、天井の照明のまわりが、虹色に見えました。
目が霞む。頭が痛い。最初は「疲れかな」くらいでした。
病院に行くと、緑内障と言われました。
そのときの感想は、「へ〜、そんな病気があるんだ〜」。……軽すぎる。
本当にこわくなったのは、パソコンで自分で調べた夜です。
視野が少しずつ狭くなる。進行は遅らせられても、失った視野は戻らない。
画面の文字を追いながら心臓がどんどん速くなって、診察室では他人事のようだった話が、あの夜やっと「これは自分の話なんだ」と追いついてきました。
目薬も、飲み薬も使いました。手術も、何度も受けました。
それでも、見える範囲は少しずつ狭くなっていきました。
最初に変わったのは、働く場所でした。
工事の現場は、危ないことだらけです。足元には段差がある。上から何かが下りてくる。資材が、昨日とは違う場所に置いてある。
見えているうちは、目でよけていました。見えにくくなると、よけられません。
自分が危ないだけじゃない。まわりの職人さんにとっても、危ない存在になってしまう。
そこで、仕事が変わりました。現場から、机へ。内勤です。
ただ、その日から、僕の一日は音が変わりました。
朝、危険予知活動のファイルを開く。ラジオ体操の音楽が鳴る。職人さんの「おはようございます」が飛び交う。工具がぶつかる金属の音。幹線を引くときの「せいの」の声。
そういう音が、まるごと消えました。
代わりに聞こえてきたのは、蛍光灯のかすかな音と、書類をめくる音と、キーボードを叩く音でした。
毎朝あたりまえに浴びていた現場のにぎやかさが、どれだけ自分を支えてくれていたのかを、僕は静かな机の前に座ってから、はじめて知りました。
そして、ここがいちばん皮肉なところです。
机に移っても、そこにも図面がありました。
見積もりを作る。数量を拾う。図面から寸法を読む。細かい字と数字は、どこまでも僕についてきました。
そこで使い始めたのが、虫眼鏡と老眼鏡です。
当時、まだ20代の終わり。老眼鏡をかける歳ではありません。それでも、少しでも文字が浮き上がるなら、なんでも試しました。
図面を広げる。老眼鏡をかける。虫眼鏡を、紙のすぐ上でゆっくり滑らせる。レンズの中で、線が太くなり、数字が大きくなる。
でも、見えるのは小さな丸い窓の中だけです。
丸を少しずつずらして、紙の上を何往復もする。全体の形は、頭の中で組み立てるしかありません。
昔は、図面を広げた瞬間に全体が見えていました。呼吸するのと同じくらい、自然に読めていました。
その同じ図面を、いまは虫眼鏡の丸で一箇所ずつなぞっているという差を、僕は毎日、自分の手元で突きつけられていました。
虫眼鏡を滑らせる自分の姿を、誰にも見られたくありませんでした。
道具を変えても、解決しないことがありました。
確信が、持てないんです。
昔なら、数字は一度読めば終わりでした。「よし、この数字だ」で次へ進めた。
虫眼鏡ごしの数字には、いつも不安が残ります。「3」だったか、「8」だったか。「7」だったか、「1」だったか。
寸法の読み違いは、この仕事で絶対にあってはならないことです。数字ひとつの違いが、現場で取り返しのつかない形になる。それを、僕がいちばんよく知っていました。
だから、もう一度見る。
一度で済んでいた確認が、二度になり、三度になりました。
そして、いちばん抜け出せなかったのが、これです。
「早くしなきゃ」と思うほど、手が止まる。
焦った瞬間に、頭がこわばる。さっきまで読めていた数字が、急に読めなくなる。
焦るたびに、僕のHPはじわじわ減っていきました。
つまり、何もしていないのに、気力だけがどんどん削られていった、ということ。
また焦って、また止まって、手のひらに汗がにじんで心臓だけが速くなっていく、その輪を、僕は机の上でぐるぐると回り続けていました。
周りからは、ただ「仕事が遅くなった人」に見えていたと思います。サボっていたわけじゃない。むしろ、人一倍がんばっていました。
机に向かっていると、いやでも耳に入るものがありました。
となりの席で、同僚が仕事を進めていく音です。
書類をめくる、さらさらという音。ペンが紙を走る音。電話でてきぱき話す声。
同僚は、何も悪くありません。自分の仕事をしているだけです。
でも、止まっている側には、その音がやけに大きく聞こえました。
昔は、僕もあちら側にいました。現場で「中澤さん、これ、どうする?」と頼られていた。
その僕が、いまは、こちら側にいる。自分はもう役に立っていないんじゃないかと思うたびに、胸の奥が重たくなりました。
もうひとつ、静かに進んでいたことがあります。
現場監督の頃、毎日持っていたのは、手帳とシャープペンでした。段取りを預かる側の持ち物です。
その2つが、だんだん使えなくなっていきました。
まず、手帳のマス目が分からなくなる。今日の欄か、明日の欄か、境目がにじむ。
次に、自分の字が読めなくなる。自分で書いたのに、です。
最後に、書くこと自体が難しくなる。行の上に書いているつもりで、行と行のあいだをまたいでいる。
あの2つを鞄から出さなくなった日のことを、僕は覚えていなくて、たぶんある日ぱったりではなく、気づかないくらいの速さで、じわじわと減っていったんだと思います。
あの頃の机の上では、ただ「またひとつ、できなくなった」としか思えませんでした。
僕はこのことを、職場の誰にも言えませんでした。
「目が見えにくくなっています」。「図面の字が読めません」。
たったそれだけが、どうしても言えなかった。
理由は、いくつもありました。
いちばん大きかったのは、たぶん3つ目です。
口に出したら、ゲームオーバーになる気がしました。
つまり、言った瞬間に、13年かけて積み上げたものが全部終わってしまう気がした、ということ。
だから、平気な顔をしました。読めない数字を読んでいるふりをして、「大丈夫です」と笑ってごまかしました。
会社で最初に打ち明けたのは、入院することになったときです。相手は、上司でした。
隠せなくなるまで、僕は隠していました。
やがて、できる仕事は減っていき、「このまま続けるのは難しいよね」と言われる日が来て、18歳から13年いた居場所は、静かに終わりました。本当に、悔しかった。
そのあと、僕はトライアスロンに出会いました。人生で初めての大学受験もして、あん摩マッサージ指圧師の資格を取りました。
いまは毎朝、4時半から6時のあいだに起きて練習に出ています。学校や企業で講演もしています。
あの机の上の僕に、いま言えることがあるとしたら、これです。
言えなかったのは、弱さじゃなかった。
あのとき守ろうとしていたのは、格好つけたい自分ではありませんでした。やっと手に入れた居場所と、それをくれた人たちでした。だから言えなかった。順番が違っただけです。
あの頃の僕は、できないことが増えていく速さを、自分だけで数えていました。誰にも言わないと決めていたから、数える相手が自分しかいなかった。
いまは、数え方が違います。
レースの日、段差の位置はガイドが教えてくれる。足元は盲導犬が見てくれる。文字は音声が読んでくれる。この文章も、声で書いています。
できないことは、変わらずあるけれど、それを数えているのがもう僕だけではない、ということが、あの頃といちばん違うところです。
見えなくなっていく世界の中で、支えられながら挑み続ける。その旅を、仲間と一緒に。
もしいま、あなたが、あの頃の僕と同じ机に座っているなら。
昨日できたことが、今日できない。がんばっているのに、追いつけない。それは、あなたがダメだからではありません。周りには見えない重りを背負って、必死で走っているだけです。
言える相手が見つかるまでは、無理に言わなくてもいいと思います。ただ、「いつか言う」という選択肢だけは、消さないでいてください。
僕が言えたのは、隠せなくなってからでした。それでも、言ったあとの人生のほうが、ずっと長かったんです。
「視覚障害B2の生活」「IRONMAN サブ11挑戦」「1ミリの行動」「気合いより1ミリ」をテーマに、講演を続けています。学校・企業・自治体問わず、対応可能です。盲導犬シュクレも一緒に伺うことができます。
📧 つなひろワールドへお問い合わせ中澤の挑戦を、これからも見届けてもらえたら嬉しいです。日々の練習やレース、盲導犬シュクレとの暮らしを発信しています。
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緑内障がわかった日から、見えなくなっていく中で挑み続けるまでを、YouTubeで1話ずつ動画にしています。
RYU NAKAZAWA | 視覚障害B2 パラトライアスリート・プロ講演家
盲導犬シュクレと共に、1ミリの行動を続ける人